人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える

人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える

2020/4/14

「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」

 

一人の医師としてこの言葉を聞いたとき僕はすべての思考がストップしてしまった。友人との会話中でなければ泣いてしまったかもしれない。

そうなのだ。不意に思いを言い当てられて自制が出来なくなるくらいには、僕はこの国の医療に対して思い悩んでいたのだ。僕は、僕がそんなに思いつめていたことに我ながらびっくりした。

おそらくその言葉は、僕がそれまでなんとなく感じていた「この国の国民と医療の世界に蔓延するモヤモヤ」をズバリと言い当てたのだろう。だからこそこんなにも僕の心をかき乱したのだ。

今回はそのモヤッとした空気感を自分なりになんとか言葉にしてみようと思う。自分の気持や空気感を描写すると言う作業に慣れていない僕にとって、これはかなり困難な作業になりそうだ。拙い表現になるとは思うが、しばしお付き合いいただけると幸いである。

 

皆さんがこのことをご存知なのかご存知ないのか、僕には分からない。しかし「人間の死亡率は100%」だ。僕の医者としての経験上それは多分間違いない。人間は必ず死ぬ。

新型コロナ肺炎だけでなく、インフルエンザでも、普通の肺炎でも、ガンでも心筋梗塞でも…原因は無数にある。人は死ぬのだ。

ちなみに、冬季の流行シーズン中は毎日100人くらい、年間で1万人くらいの日本人がインフルエンザ、もしくはそれに起因するざまざまな病態(インフルエンザ超過死亡という)で死んでいる。

交通事故で3千人〜5千人、インフルエンザで1万人、自殺で2〜3万人の日本人が毎年毎年死んでいるのである。ちなみにこれだけ大騒ぎしている新型コロナ肺炎は、この世に登場してから通算でまだ100人しか日本人を殺していない(2020年4月半ば現在)。もちろんまだ増える可能性はあるが、自殺のレベルにまで到達するかは疑問である。そういう意味では致死率が80〜90%にのぼるエボラ出血熱やコレラなどとは基本的に全く違う感染症と言っていい。当初から言われているとおりコロナ感染者の8割は軽症もしくは無症状。残りの2割は入院が必要なくらい重症、そのうちのわずかな人が死亡に至る。致死率はインフルエンザの10倍とも言われるが、死亡者の大半は高齢者や基礎疾患のある方である。

 

 

こんな言い方をすると必ずこう反論される。

 

「高齢者は死ねというのか!?」

 

それは間違いである。僕が言いたいのは

 

「高齢者は死ぬ。」

だ。

いや、さっきから言っている通り正確には、

「人は死ぬ。」

言ったほうがいい。

 

こんな言い方をする僕は冷酷なのだろうか。
人の死を数字で語る僕は非人間的な医師なのだろうか。

たしかにそうかも知れない。ただ、これだけは言っておきたい。僕はコロナで亡くなられた志村けんさんの人生を昔から知っていた分深く悲しんだ。しかし、それと同じくらいインフルエンザや肺炎やガンで亡くなられた多くの名もなき人たちの人生に寄り添い、悲しみを共有し、そして見送ってきた。

あなたはインフルエンザで亡くなられる人が毎日100人もいる事実をこれまで少しでも深く考えたことがあっただろうか?

あなたたちがいままで見てこなかった、あるいは知っていたとしても無視あるいは軽視してきたたくさんの死に僕は向き合ってきた。志村けんさんの人生の物語を知っている人はとても多い。だから日本中が悲しみに包まれ「コロナ憎し」という空気が出来上がった。でもね、これまでインフルエンザや肺炎や自殺で亡くなられた何万という人たちにだって、一人ひとり、それぞれに人生の物語はあったのですよ。僕に言わせれば、これまで高齢者医療にも終末期医療にも自殺問題にも殆ど見向きもしなかったあなた方、いまコロナで自分や家族の命が脅かされそうになって初めて大騒ぎしているあなた方のほうがよっぽど冷酷に映る。

 

そう、本当に残念なことだが、人はふとしたことで命を落とすものなのだ。
これだけ医学が進歩しても、助けられない命は無数にあるのだ。

 

もちろん、助けられる命は全力で助ける。それが医療だし、それが医師だ。

しかしそれでも、リスクは決してゼロにはならない。なぜなら人は必ず死ぬのだから。いや、むしろ、リスクゼロを追求するべきではないと言ってもいい。

リスクをゼロにしようとする医療側の真摯な努力が逆に様々な弊害をもたらしてしまうことは、医療の歴史を鑑みれば容易に想像が出来るのだから。

 

 

「医療によるゼロリスク」の危険性

 

 

医療によるゼロリスクの追求は様々な弊害を社会にもたらしてきた。

その最大のものはやはり「高齢者」に対する医療だろう。

先程「高齢者は死ねというのか?」と言う意見に少しでも共感された方には是非この点を認識していただきたい。

批判を恐れずに率直に言う。

高齢者医療の現場である病院・施設は「ゼロリスク神話」による管理・支配によって高齢者の収容所になりつつある。

誰しも高齢になれば自然に足腰も衰える、転倒を予防したければ「歩くな」が一番の予防策だ。今高齢者が入院する病院では、ベッドに柵が張られていることが多い。トイレに行きたいときは看護師を呼んで車椅子移動。行動を制限された高齢者の筋力・体力は急速に落ちていく、そして寝たきりになり、排泄はおむつになる。

また、誰しも高齢になれば飲み込みが悪くなる。食べては誤嚥し、肺炎を発症する。誤嚥性肺炎を予防したければ「食べるな」が一番の予防策だ。今高齢者が入院する病院・施設は、鼻から胃袋まで管を入れられる、もしくはおなかに直接穴を開けられて胃に栄養を送る経管栄養の高齢者で大賑わいだ。

こうして高齢者は入院・入所した途端に行動を制限され寝たきりになっていく。

多くの高齢者の願いは、「自宅で好きなものを食べて、自分らしく生活をしたい」という至極単純なものだ。それなのに、世間や医療のゼロリスク神話はいともたやすく高齢者の生活を奪ってしまう。リスクを恐れるあまり、多くの高齢者は今「かごの鳥」になっているのだ。(ちなみに僕は彼らを一人でも多く救いだすべく活動している)

この傾向は今回のコロナ騒ぎで確実に深刻化している。病院や高齢者施設はいま、完全に他者をシャットアウトしつつある。家族でさえ面会が困難な状況だ。

そしてその状況に至るまでの道程の片棒を担いだのは(もっと言えば先導したのは)我々医療従事者である。

「命を守る」「〇〇しないと死ぬ」という恐怖のメッセージは、我々の想像以上に効果的だったのだ。

今この恐怖のメッセージは、高齢者医療から新型コロナウイルス感染予防へ場を移し、猛威を発揮し始めている。

中国ではスマホの位置情報で個人の行動が管理されているという。韓国でもスマホの位置情報で感染者との接触情報が管理されているという。そして日本でもこの動きは少しずつ進展している。


(表示の都合上、自分のツイッターを貼っております。)

医療による死の恐怖は、まるで国民全体を徐々にカゴの中へ誘っているのかのようだ。


もちろん、今は緊急事態だから仕方ないのかもしない。ただ、一旦進んだ時計の針は戻せないのも現実。一度許してしまった権利の制限は、今後様々な形で進んでいくだろう。


もちろん、清らかな医療者は「医療による恐怖で世界を支配する」なんてかけらも思っていない。しかし、コロナパニックは「医療的な恐怖で世界を動かせる」ことをにわかに証明してしまったのだ。

 

これまで何百年もかけて人類が一つずつ獲得してきた様々な社会的な権利。それらを一時的にとはいえ一気にむしり取るという前代未聞の体験を、いま僕たちは「コロナ」を理由に経験している。医療は、これまで誰も持ち得なかった「国民の人権さえも制限できる巨大な力」を持ってしまったのだ。「命を守る」の殺し文句がこれほど効果を持つとは。。。


この力を利用しようとする勢力は確実に現れるだろう。それが国家なのか巨大資本なのかGAFAなのか、それともその全部なのか。それらが牙を剥いた時、果たして我々医療者はその巨大な力に抵抗できるのだろうか。いや、上手に牙を剥く彼らは、我々医療者が気づかないように…医療者を盾にして国民の目をそむけながら、手を進めるだろう。

 

もう一度言う。

「人は必ず死ぬ」

死はいつも身近にあるのだ。新型コロナ肺炎だけでなく、インフルエンザでも、普通の肺炎でも、ガンでも心筋梗塞でも交通事故でも…人は死ぬのだ。世界に目を向ければ、3大感染症(結核・マラリア・HIV)で一日7千人もの人が亡くなっているのだ。


自動車を製造を止めれば、交通事故で死ぬ年間100万人の命を救えたはずだ。でも僕らは歴史上決してその選択肢をとらなかった。


意識するかしないかに関わらず、我々はリスクと共存し、それを許容して生きてきたのだ。

それなのに今、コロナによる恐怖と医療従事者による「ゼロリスク」の先導は世界中の経済を止め、生活を破壊し、人々は自らカゴの中に入ろうとしている。そして巨大な権力は近い未来、医療が持つ壮大な力を巧みに利用するだろう(もしかしたら今がその時かもしれない)。得るものに比べて失うものが大きすぎはしないだろうか。バランスが圧倒的に悪過ぎはしないだろうか。

その時になって我々は、「あ〜、あのコロナパニックが始まりだったんだ」と気づくのかもしれない。

 

 

そんな未来を子供達に残してしまうのか…しかも自分たちがその片棒を担いでいるのか…。漠然とそんなことを思っていた時に聞いたのが、

 

「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」

 

と言う言葉だったのである。

 

僕が感じている漠然としたもやもや感を拙い言葉で表現すると以上の様になる。いや、自分の今の気持ちをきちんと文字で表現できたかどうか…自分の拙い表現力に悔しい気持ちでいっぱいだ。でもこれが今の僕の限界だろう。仕方ない。僕は今ここで筆を置く。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

追記:
これまで、BCGワクチンがコロナに効いてる?とか、圧倒的に低い日本の死亡率などの「安心材料」的な記事を書いてきたのは、そんな「医療的な恐怖で世界が動いてしまう」ことへのささやかな抵抗だったようにも思います。(もちろん、きちんとデータの裏付けをとった確からしい情報書いているつもりです。反発心だけで書いているわけではありません)


追記2:
決してコロナウイルスの感染拡大予防対策を否定しているわけではありません。
高齢者医療に日々接している僕は、2月から旅行もキャンセルしていますし、多分誰よりも日々の手洗いをしています。
ただそれは医師としてのモラルから、リスクがゼロにはならない前提で、出来る範囲のことを自発的に行動しているものです。決して国から指示されたものではありません。
社会全体として「圧倒的にバランスが悪い」という主張の趣旨をご理解いただけますと幸いです。

Dr.森田の「ほぼ週間メルマガ」が以下で登録ができます。

 

 

 1.  下のボックスにメールアドレスをご記入の上,

 

 2.最後に「Subscribe」のボタンを押してください。

 

 3. Thank you for subscribing!   と出てきたら、それで登録完了です。

Subscribe


 

 

 

 

 

☆コメントを書かれる際は実名と所属をお書き添え下さい。

コメントをお書きください

コメント: 110
  • #1

    中園 淳彦 (火曜日, 14 4月 2020 19:37)

    森田さんの高齢者ー人間は死ぬという、高齢者が増えたと思います。他の事柄も納得することがおおかったです。
    凄く考えさせる投稿ありがとうございます。居場所屋 凡 中園 淳彦

  • #2

    松本 晋一郎 (火曜日, 14 4月 2020 19:57)

    いつも楽しみに拝見しております。今回の内容は、私自身の心のモヤモヤに、光を当てていただきました。北海道の田舎町で暮らし、診療所医師として働く立場の者として、深く共感いたしました。森田さんの思いが、医療者のみならず、一般の方々に届くよう、心より願っております。早速、FBでシェアさせていただきます。

  • #3

    赤木 篤 (火曜日, 14 4月 2020 20:23)

    私も同感です。
    人は、何らかの理由で100%死にます。
    それなのに今は、コロナでしか死なない、かのような雰囲気が広がっています。
    そのために、それに同調しない人が叩かれ、田舎に帰省しようとした人が、テロリストとか殺人犯などと批判非難されています。
    「死ぬ」ということだけ考えたら、コロナの死者はわずか100名程度だし、それよりはるかにインフルエンザによる死者が多いのに、インフルエンザ感染者は殺人犯と批判されることはありません。

    そういう雰囲気の中で、自粛自粛で、ただ生き残るために生きることが推奨されている。でも、本当に人間らしい生き方とは思えません。
    ゼロリスクはないのです。「生きる」ということそのものが、すでにリスクなのですから。
    それを受け入れれば、コロナのリスクに応じた考え方ができると思うのです。

    今は、「恐れ(不安)」が強くて、なかなかこういう考え方が浸透しないのですが、それでもあきらめずに、こういう考え方を広めていかないと、私たちの文化的な社会そのものが抹殺されてしまうように思います。
    この感染拡大は、そう簡単には終息しないと思われるので、多くの人もそのうち「飽きる」と言うか、「あきらめる」と思います。そうなってやっと、こういう考え方が受け入れられるようになるのかもしれません。

  • #4

    上奥智彰 (火曜日, 14 4月 2020 21:27)

    お話の趣旨はよくわかります。
    しかし、感染症で医療崩壊のなかなか人々が亡くなっていくことに、医師も一般人も耐えられるでしょうか?

  • #5

    松田正典 フリー (火曜日, 14 4月 2020 21:51)

    おっしゃるとおりです。
    なので、正解は、
    「家畜にならずに生き残る道を選ぶ」
    ことだと思います。
    困難であろうとも。

  • #6

    田頭 秀悟 (水曜日, 15 4月 2020 05:09)

    私も昨今の流れに大きな違和感を感じる医師の一人です。
    先生のご意見に概ね賛同致します。

    少し違うところがあるとすれば、高齢者医療で寝たきりへと誘導される流れの中で高齢者が一方的な被害者のように捉えられているような文章にお見受けしたところです。
    勿論、「科学的医療」「命を守る医療」の名の下に我々医療者がある種盲目的に正しいとされている医療を推進し続けてきてしまったことにも責任があることは事実ですが、それを断るタイミングは高齢者の側にも何度もありました。何度も何度もあったにも関わらず、「先生にお任せするしかない」という判断をしてきた高齢者の側にも寝たきりに至るような責任はあると私は考えています。つまり問題の根源は「主体性のなさ」、社会で常識とされている概念に、今はそれを科学という名の宗教が猛烈に後押ししていまっていますが、これに服従してしまう「主体性のなさ」にあると思います。これは患者側にも、医療者側にも当てはまる問題の根源だと私は思っています。

    ちなみに、私はコロナにかかるのは自己責任だと思っています。もし自分がかかったとして誰かにうつされたとは思いません。自分が「うつった」のです。
    一方で他の誰かから「うつされた」と思われることは心外ではありますが、もしもその誰かが私と同じように考えてくれたら、敵視や差別といった感情はなくなるでしょう。要するに「コロナ」前の世界に直ちに戻ることができます。しかし現実にはもはやそうは思ってもらえないであろうこと、やはり「うつされた」と思われるであろうことは察しています。だから「うつされた」と思われないように最低限の行動は心がけますが、それでも誰かに「うつされた」と思われたとしてもその人を憎まず、差別されたとしてもその環境の中でそれでも自分が正しいと心底思える行動がとれるよう「主体的に」生きていきたいと思います。

  • #7

    中鶴 真人 作業療法士 (水曜日, 15 4月 2020 06:18)

    激しく共感します。
    僕が高齢者医療の現場でずっと感じていた疑問と怒りを正に体現してもらえた気持ちです。
    深く深く感謝します。
    今、ナガヤタワーでやっている取り組みは正に先生の仰る主体的に生きるを行動にしているものだと思います。
    人生のゴール付近を如何に生きるのか?
    この問いの答えを
    我々現場の人間は常に探しながら努力していきたいと思います。
    シェアさせてください。

  • #8

    山下潤 (水曜日, 15 4月 2020 06:26)

    医療現場はヒトが「生きている」から「生かされる」のシフトが起こっていますよね。家畜は「経済動物」なので生産性が悪化したら殺され肉になるので、愛玩動物の「ペット」の方が適当かもしれません。

  • #9

    市川 明 (水曜日, 15 4月 2020 06:55)

    「人間はいつか死ぬ」
    その「死」は他者によって決められる。
    愛する人の死を受け入れることは
    自身の死を受け入れることよりつらく悲しい。
    「愛」イコール「延命」となるのでしょうか?

  • #10

    野村 広 (水曜日, 15 4月 2020 07:53)

    トートットット〜っていって、世界の全人口がコロナの脅威で追い込まれてますよね。
    アフターコロナの先に有るエリアは、自らを摂生しながら天命を全うする為、『覚悟』を持って生き抜くエリア。
    あと一つは、懸命に生きよう、生き抜こう、その為のシステムに沿って『他力本願』で生きるエリアだとおもいます。
    私はどちらでもいいとおもいます、ただ、人はいかなる時も寄り添って、支え合って生きるようにできているのですから、短な人・関わりあっている人・大自然の恵みを大切にしていれば、幸せな人生であるはずです。
    生まれた家で永眠できるような、古き良き日本の姿に近づけば・・・・と、願っております。

    記事をシェアさせてください。
    森田先生の、今後のご活躍をお祈りしております。

  • #11

    丁 健二 (水曜日, 15 4月 2020 09:04)

    おっしゃる通りだと思います。どちらが正しいではなくバランスが悪い。誰もマスコミでは言ってない。出さないようにしているんでしょう。何か巨大な力が働いているのでしょうか?誰が何のために?

  • #12

    山口高瀬 (水曜日, 15 4月 2020 09:29)

    読ませていただきました。
    人は必ず死ぬことと、人が死んだら悲しいという事実と感情の切り分けが出来ていない人の方が多いという事を今回の騒動で認識しました。

    死亡率や、8割の人は無症状、2割は入院でそのうちのわずかな人が亡くなるということと、他の感染症だって人は死ぬということ、「誰だって死んで欲しくない、特に自分の周りの人にはそうなって欲しくない」という気持ちは両立するし、他の原因だって死ぬ。

    こういった事実をちゃんと受け容れた上で、どういう対処をするのかをシッカリとしていかないと、胃ろうや呼吸器を付けさせて一生を過ごさせるような、MATIXの世界のようになってしまいますね。

  • #13

    村田稔 会社経営 (水曜日, 15 4月 2020 09:47)

    コロナ関連情報が山ほどある中で、とても同意する内容です。
    また、改めて超難問であることにも気づかされました。
    科学、倫理、経済、政治、グローバル化、全てが絡み合う難題の中で、先生の視点は基軸になると思います。

  • #14

    中田 秀幸 (水曜日, 15 4月 2020 09:52)

    地方に暮らす父親は肝臓がんで治療していますが、何とか自宅で過ごしています。会いに行きたいですが、今の状況では万が一にもと考えると行けません。
    人は100%死ぬ、その通りです。最後の時はすぐ近くで看取りたいと思います。
    この状況が早く落ち着く事を願っています。

  • #15

    アナンド チャラム (水曜日, 15 4月 2020 10:11)

    正しく怖がる
    それを理論的に展開していただいた
    マスコミによって毎日恐怖を煽られ
    過度の恐怖によって操作されている
    「命」とい大義名分を錦の御旗にし
    とてつもない同調圧力となっている
    それが操作だとも知らずに

  • #16

    山本直樹 (水曜日, 15 4月 2020 10:55)

    長野県の小布施町の在宅診療医師です。 危険度に応じた備えが必要です。人口当たりの死亡率で基本的には疾病の危険度を考えます。日本は
    https://coronavirus.jhu.edu/data/mortality

    死亡率で見ると日本は0.1,台湾は0.03です。極めて少ないですね。

  • #17

    奥林智美 (水曜日, 15 4月 2020 10:57)

    世の中(特に日本)は医療ビジネスで経済を回しちゃってるとずっと思ってました。ミッションインポッシブル2の再放送はなぜしないのか?
    今回も「コロナウィルスってお腹の風邪だよね?」病気の怖さと扱いがおかしくない?とずっと思ってました。
    医療崩壊が近づいてきました。助けられた命が失われていく。て。
    「助けられた命」などないと思ってます。「亡くなるべくして、今、この時期に、その場所で亡くなってる」んです。
    お医者さま、みなさん、本当にお疲れ様です。ご自愛ください。

  • #18

    山崎順子 (水曜日, 15 4月 2020 11:15)

    Facebookを通じてシェアされた記事を拝見いたしました。私もシェアさせていただきたいと思います。私はリアル店舗のパート店員をしている50才主婦です。子供はおりません。ボランティアで地元のミニFMのパーソナリティをしております。

    今回のコロナパニックで小さなFM局でもパーソナリティそれぞれ
    自分で自分の立ち位置を選ばなければならない場面に立たされました。
    仕事ではないミニFMのボランティア活動。電波の届く範囲は限られておりますが各自自分のFacebookアカウントで自分の担当番組を動画配信してきておりました。
    ここに来て、遠方からのパーソナリティの方や、介護職の方支援員の方は、スタジオを出かけて放送をすることは、感染リスクがあるとのことで、ラジオ番組を休止し自宅からのネット配信に移行された方もありました。

    私は幸い、局のごく近所におり、リアル店舗の店員ですので感染リスクは日々の生活の中で厳然としてあり、ワンマン放送のラジオブース内はむしろ安全性の確保されたスペースと言ってもいいくらいです。

    毎週金曜日の19時から
    地元岩国出身の女流作家、宇野千代さんの小説を、音読する。という番組を企画して毎週ワンマン放送しております。

    音読。は心にも体にも効くと感じており、文章を身体と心で感じることができる、ひとりきりのイメージと思索の時間になると考えております。

    さて、先生の記事を拝見して
    わたしが漠然と感じていた感覚を医療の立場にある方がご自身の体験と生き方への姿勢として敢えて、この時期に、批判もあるとお考えの上で発信されていること。

    わたしのような地方のパート店員のボランティアミニFMパーソナリティが共感などという大それたことは思えませんが

    ぜひ、自分のささやかな番組の中で、自分の声で、音読させていただきたい‼️

    と強く思いました。

    突然で不躾な申し状ですが、どうか、お許しいただきたいと思います。

    私の番組は私のアカウントでFacebook配信いたします。

  • #19

    平山亮 (水曜日, 15 4月 2020 11:54)

    都内勤務の訪問看護師

    完全同意です。自分でももやもやしていたものが、言語化され整理されてようです。有り難うございます。

  • #20

    伊藤大輔 (水曜日, 15 4月 2020 13:13)

    千葉県で看護師してます。

    価値のある文章を読ませていただきありがとうございました。

    是非国民全員、特に10代から60代に読んでいただきたいです。明日は保証されている人間はどこにもいません。全員100%死にます。
    日本で一番辛いのは、本人が延命も希望しないし、いつ死んでもいいといわれているのに家族がそのことを避けて、いざというときに延命をしてしまうパターンはいくつもみてきました。
    最近はリビングウィルをお持ちの方もいらっしゃいますが、それは癌の既往のある方ぐらいの印象です。
    人生会議のときもそうでした。日本は死ということに向き合えない人間が多すぎます。本当は学校とかで教えなきゃいけないんでしょうね。

    もう一度いいます、国民全員に読んでほしいです。ありがとうございました

  • #21

    浅海奈津美 (水曜日, 15 4月 2020 13:13)

    医療職の方々の、仕事中の感染による不慮の死、というのが、今回のコロナ禍で生じている悲惨な事実です。これは、日本では1日約3000人が亡くなるとわかっていても、納得するのが難しい死です。
    Boomer remover という言葉が囁かれていますが、極端な世代間闘争が勃発するのは不毛だと思います。

  • #22

    小池直輝 (水曜日, 15 4月 2020 13:54)

    先生が提起している、いかに死なせないかではなく、いかに生きさせてあげるか、そこに寄り添おうとするのが医療であるという視点。そして、人は必ず100%死ぬことが前提で生ききるとは何かという大切な問い。これについて、現代社会は避けたり、逃げてきたのだと思います。この状況の中でこの問いはより切実なものだと自覚しなければならないはずですが、むしろいつまでも死なないという幻想を維持することが正しい行為となっている気がします。
    「コロナとの戦いに勝つ」とか「一人も死なせない」「国民一丸となって」のような現実から遊離した形で、実際の取り組みをどうするかということより、スローガンが声高らかに叫ばれる状況。その中で、先生のように現実に即した冷静なまなざしを非国民的に受け取る風潮が出てくるなら、これはまさに、戦争に突入していったときの日本の状況に重なって見え、気持ち悪さを感じています。
    「この世の悪のほとんどは、善意の人によってなされるものだ。」というTSエリオットの言葉を思い出します。
    先生の言葉に何か救われる気がします。

  • #23

    George Lawrence (水曜日, 15 4月 2020 14:47)

    Michigan 在宅勤務中

    かわいそうな人。
    人を愛したことがない痩せ細った発想。

    死について語っていながらその真相までたどりついていない。

    コロナで怖いのは死ではなく死に方。
    また愛するものを巻き込んでしまう怖さ。

    COVID 19は致死率が問題なんじゃなく、問題は感染能力。

    自分の家族をコロナで亡くしてからもう一度この記事を朗読してほしい。

    迷惑だからさ、ジャーナリストやめてほしい。





  • #24

    Eri (水曜日, 15 4月 2020 15:02)

    仰るとおりです。

    ただ、人は死んだことがないので、死が恐いのです。

  • #25

    eri, (水曜日, 15 4月 2020 16:27)

    追記いたします。
    医療従事者のかたは日々生死を垣間見て、人は死ぬに説得させていると思います。
    ただ、ここに温度差があります。

    未知なるもの(初めてのもの)
    は、恐ろしい。
    昔々、外国人が怖かったように。
    そして、死んだことがないのですから、これも未知なるもの。
    経験がありませんから、死が恐いのです。
    そういう感覚が医療従事者ではない人の考えであることを心に置いて頂きたいです。
    昔、子宮筋腫の手術した際に、同じ手術をした看護師さんがいました。彼女は同部屋の誰より弱音を吐きながら、患者さんの痛みを分かってはいなかった、と言ってました。
    このあたりに心がとどけば、人々にもう少し優しいメッセージを送れるのではないですか?。

  • #26

    S (水曜日, 15 4月 2020 17:14)

    バランスの悪さを共感している医師のひとりです。ひとつだけ疑問があります。毎年毎年肺炎で亡くなられる方がたくさんいますが、何故今年に限ってこんなに早い段階でICUが満床になり、ベンチレーターが不足しているのでしょうか?

  • #27

    高橋智恵子 (水曜日, 15 4月 2020 17:36)

    ずっとそう思ってきて
    怖くて書けなかったことを
    書いてくださり
    言葉にしてくださり
    ありがとうございます。
    私は人を集めて生きる喜びを表現するダンスを各地でやってきました。
    人の表現が奪われ、エネルギーが上がることは全て奪われ
    檻に閉じ込められた私たち。
    人は死ぬのに。いや、今せっかく生きてるのに死んで生きるなんてまっぴらです。
    私も書きます。

  • #28

    小櫻聡子 (水曜日, 15 4月 2020 17:46)

    とても共感します。
    人は生物です。死ぬのは自然の摂理です。謙虚に命と向き合う時がきていると思います。

  • #29

    岡村 優輝 (水曜日, 15 4月 2020 22:12)

    京都の柔道整復師です。
    先生のおしゃることに関し大変共感する部分が多くまた、自身と似たような価値観をお持ちの医師もおられるのだなと心躍りました。
    医療の中で医師はその立場的に本当に人格者でなくてはならないと思います。

    医療類似行為と称される私ですが、医療的要素のある現場においては自分の一言の「言霊」の重さは師匠より常々注意をされてまいりました。
    それは、先生ご指摘の通り言葉による侵害です。

    命を前にそれを扱う人の言葉はあまりにも大きい。
    患者にも意思があり断ることも出来たとコメント欄にありましたが、私自身はそうは思いません。(この薬を処方しますと言われ断れる患者は何人いますか?簡単なことでも知識・経験のある人に判断を委ねてしまう心理は上下関係性を作る恐れがあると思います)

    一部にもありましたが全てにおいて言えると思いますが
    「自分の責任は何処にあるのか」

    責任を取りたくないので山のように同意書を取る。責任を持てないので相手に委ねる。
    結局誰も責任を取りたくないように見えます。

    そんな状況下で今回の「コロナ」は、命の危険よりも自分たちが過ごす場所がどのように動いているのかを気付ける一つのきっかけとなるのか、蛇足として進むのかその分岐点に来ているのだろうと思います。

    「命を守る」そのことを盾にした権力、地位にある人々(医師や政治家など)が人が死ぬことはあってはならぬことであり、それを阻止することが唯一だとするこの流れには人の悪意をも感じざる負えません。

    人は死ぬ

    動物である以上、子孫を残し死ぬ。

    その本質から外れればそれは人でしょうか?ヒトでしょうか??

    乱文長文失礼しました。
    今後も先生のご活躍とご健康を心より願い、真理に近づくご発言の拝見、拝読を楽しみにしております。

  • #30

    日比敦史 (木曜日, 16 4月 2020)

    ご縁があり、読ませていただきました。

    "「命を守る」「〇〇しないと死ぬ」という恐怖のメッセージは、我々の想像以上に効果的だったのだ。"

    という部分がとても刺さります。
    私は医療関係者ではありませんので、そういった現場のことはわかりませんが、「死」という絶対不可避な事柄が、生活からあまりにも離れすぎているのではないかと感じました。
    ここまでのコメントにもありますが、死を経験することは生きている私たちにはできないため、未知なる恐怖がつきまといます。
    しかし、だからこそ向き合う必要があり、そこに伸びしろがあるように思います。
    死ぬ時に、一番悲しくて悔しいのは本人ではなく、周りの人間なのかもしれません。
    私たち生きているものが「死」と向き合うのは、「自分の死」のためというより、「他人の死」のためなのかなと、読んでて感じました。

    「一刻も早くもとの生活に」という声もよく聞きますが、もとの生活には戻らないでしょう。
    私たちはCOVID-19と共存していくしかない現実を受け入れるでしょう。
    願わくば、受け入れるのではなく、実感してほしい。
    COVID-19だけではない、そもそも私たちは変化の中にいて、様々な物事と影響し合いながら生かされている。
    新たな脅威を受け入れるというよりは、目を背けていたことにきちんと向き合うという意識が必要な気がします。

    長々と、支離滅裂なコメントを失礼致しました。
    ますますのご活躍を祈っております。

  • #31

    ARLUN (木曜日, 16 4月 2020 03:14)

    I am feeling surprised to read this article by accident. Totally agree with your point - fear consumes many people across the world. People are willing to release their rights such as freedom in exchange for so-called epidemic prevention.

  • #32

    まり子 (木曜日, 16 4月 2020 03:53)

    大変興味深く読ませていただきました。
    私も父がパーキンソン病系の難病で最後は胃ろう手術をされ、寝たきりになり、亡くなりました。
    本当に辛かったです。
    今でも胃ろう手術をしたことは
    正しかったのか、と、ずっと悔やまれます。
    嚥下障害が、あったものの、
    好きな物を食べたがっていました。
    あんなに最後苦しい思いを長く続けさせるぐらいなら、
    私が好きなものを食べさせてる時に喉に詰まらせて亡くなる方が、
    父もあんなに苦しまなくて
    済んだのではないか。
    ずっとそのことを悔やんでいます。
    日本は延命治療をやりすぎだと思います。
    たくさんの管に繋がれた意思疎通も、できないお年寄りを見ると、本当に気の毒ですし、
    ご本人がそれを望んでるのかも、
    もうわかりません。
    その方々のせいで、
    医師、看護師の方々が疲弊し
    医療が崩壊し、
    大勢の若い人たちが
    その代わりに亡くなるのは
    お年寄りも望んではいないと思います。
    あってはならないことだとおもいます。

  • #33

    岡本 忍 カイロプラクター&養鶏場経営者(元医療機器エンジニア) (木曜日, 16 4月 2020 05:13)

    勇気ある発言を発信されたことに心より敬意を表したいと思います。

    一気に人々が亡くなる。
    経済活動が停止する。
    戦争と同じです。
    戦時中に「贅沢は敵だ」と家庭の中にまで闇米没収にくる主婦たち「映画かドラマの中の話?)。
    赤毛のアンのように、新型コロナと言う敵に見つからないように生きる隠れ家生活。

    パラダイムシフトが必要な時代が来たことは確かでしょう。

    三密しないように、生きる。
    他人任せでなく、当事者として生きる。
    権利ばかり主張しないで、協力し義務を果たして生きる。
    人のいない所に行き、のびのびと生きる。
    過剰反応することなく、冷静に考えて生きる。
    生き甲斐を持って生きる。
    家族に感謝して生きる。
    自立して生きる。
    与えられた命に感謝して生きる。

    卵用のニワトリは、産卵率が10%落ちたら人生終わり。
    自由に生きてるだけで可愛がられる猫になれたら幸せかな。

    皆さんのコメントも合わせて拝読して、そう思いました。


  • #34

    五十嵐乃里枝 (木曜日, 16 4月 2020 07:12)

    この視点、人は死ぬものだ、というのは、原発事故後、福島の我々が改めて突きつけられたことでした。
    人は100%死ぬ。なのに、この恐怖はどこから来るのか?と。いま、ここで生きていること自体、奇跡の積み重ねによってであるということに同時に気づかされたのでした。
    高齢化が50%を越える過疎の地域に暮らし、高齢者の最期に向きあってきて、タイトルは胸に響きました。
    生きることはもちろん、この世に生を受けたのだから大切です。でも、どう生きてどう最期を迎えるか、この機会に各々が考えてみることだと改めて感じます。
    ありがとうございます。

  • #35

    宮井咲実 (木曜日, 16 4月 2020 07:33)

    歯科従事者、及びセラピストです。

    真摯な思いがすごく伝わる文章でした。
    とてもとても共感する部分が多く、
    立場のある方に言葉にしていただく安心感も大きいです。
    本当にありがとうございます。

    私は、先生の言葉は非常に優しいと感じます。

    事実を端的に伝えることを、冷たいと感じる方も多いのですね。
    しかしそれは、受け止める側の課題でしょう。
    自分と向き合うことを避けているほど
    人の言葉や事実に、自分で余計な脚色をします。

    ふわっとだと伝わらないんですよ、大事なことは。伝える側と受け取る側の齟齬が生じやすいですのでね。
    本当に伝えたいことは、わかりやすい言葉で飾らず伝える方が良いと思います。
    タイミングがずれて後悔しても遅いですから。


    私は、自らの病気を経て
    『命は有限』ということを体感し
    いつか死ぬから、自分に嘘をついて生きるのは不毛だという実感を得ました。

    死は自然で、必須で、生まれた瞬間隣り合わせです。
    本来、怖いものではありません。
    死を意識して、命あることに感謝し、日々を大切に生きるのが
    生まれた命の命題のひとつでしょう。

    死に恐怖を抱く無意識の理由としては

    不本意に強制終了させられることへの拒絶
    自分らしく生きていないジレンマを抱えている
    (今死んだら後悔ばかりという思いも)
    死ぬことは痛い、苦しいという先入観がある、そういう死を見たことがある

    などでしょうか。

    病床で命を終えるとき、日本人で圧倒的に多い後悔が
    『もっと自分に正直に生きればよかった』
    という思いだと聞きます。
    それを知って、私はどうだろうかと自問できない、まだ他人事の場合は
    死はただ恐怖で、自ら進んで家畜として飼い慣らされるでしょうね。

    それを、否定はしません。選択は自由ですし、
    管理下で飼い慣らされる方がある意味楽でもあります。

    ただ私個人は、それを強要されるのは強く拒みます。それだけです。

    コロナ騒動は
    人間以外(特に汚染された環境)には非常にプラス面が大きいようです。
    無意味に起こることなど有りません。
    人間は、地球に、自然に生かされている身であると全員が自覚し、
    自然と共に生きる選択が出来ますことを祈ります。

  • #36

    中村篤史 (木曜日, 16 4月 2020 08:14)

    人の死亡率100%。
    人にはたしかに死にたくないという心理が根本的にあると思います。死ぬ、と言いづらい雰囲気もあるし、家族が死んだらいけない、みたいな。
    コロナ問題で、治るってすごい!とこれまでの薬の有効性のすごさが身に染みていますが、死なせない医療みたいなものがへんな幻想を生んでいるのかもしれませんね。
    生きることや死ぬことを改めて素直に認識したい。その上で自分の出来ることをして、自己の人生をよりよい形で全うしたいと考えています。ありがとうございました。

  • #37

    鈴木桂子 (木曜日, 16 4月 2020 13:32)

    素晴らしい文章をありがとうございます。
    「あなたはインフルエンザで亡くなられる人が毎日100人もいる事実をこれまで少しでも深く考えたことがあっただろうか?」のくだりまで読んだ時、知らず知らず落涙しました。
    グループホームに入所中の要介護5の父に会えなくなって2か月が過ぎようとしています。
    面会遮断はやむを得ないと納得しているし、豆に連絡をくださるスタッフに感謝しています。
    それでも、父の残り少ない日々を思うと、これでいいはずがないと思うのです。

  • #38

    立石美知子 (木曜日, 16 4月 2020 13:44)

    私も新型コロナ感染拡大については早くから疑問視するばかりで御座いました。鳥インフルエンザや原発による放射線汚染で、家畜達の大量虐殺した事を気に掛ける人も、居なかったのに新型コロナ感染拡大では、テレビ報道等やネット上で国民の不安・恐怖心を、一気にあおりまくり、緊急事態宣言‼️自粛・自粛・自粛と・・・人間も動物だけれど、家畜化する人間達は何処へ向かおうとしているのか?何を観たら この様な状態に成るの?
    易学では、庚子年七赤金性中央(中宮)の年 180年に一度の組み合わせ‼️
    物(紙幣)の価値観・国家法律から全て変わると感じております。今後働き方改革が、いよいよ本番と成るのでしょう。

  • #39

    アゴン (木曜日, 16 4月 2020 15:28)

    人は多忙になると、色々気が取られたり、基となる理由と言うものが忘れがちかと思います。

    人を家畜に例えると侵害だと、多分皆さん思うだろけれども、僕はそうは思いません。何故なら家畜も人間も地球上に存在する生き物であり、目的は様々、精一杯で生きています。頂いた命が続いているうちに、この世に何かを残すために、後悔の無いように色々頑張っています。

    それに、目前のコロナは、一旦かかってしまった場合、死には至らないかも知れませんが、普通の確率で発病するし、症状が出なくても他人に移ることは出来ます。そんなウイルスの特徴で、イタリアでもアメリカでも起こったことだけど、大人数の患者さんが爆発的に恐ろしい勢いで出てくることは、もうご理解でしょう。もし日本もそうなると、今の医療機関は、どこまで耐えられるのでしょうか?もし耐えられなくなってしまうと、他の病気で苦しんでいる人たちはちゃんと対応してもらえるのでしょうか?その時に、医師として、どちらかの患者さんを見捨てることはできるのでしょうか?もし本当に手が回らない状況にハマると、目の前の患者さんたちを見捨てざるを得ないことになるでしょう。

    家畜は人間が造った柵に囲まれ、死ぬまで飼養されます。人間は他人のことを考慮し、自制しながら行動できます。責任感がある人間だからこそ、現在世界中に起きているパンデミックを考慮し、感染人数を抑えようと外出を我慢し、自粛することができます。

    もし生き残らなくてもいいのであれば、森田先生は何のために医師になったのでしょうか?

  • #40

    石川 (木曜日, 16 4月 2020 17:07)

    コロナ騒ぎがパニック化するにつれ、自分の感覚が社会の流れと大きくずれていることに非常に戸惑いを感じている今日この頃でした。先生のご意見に全て共感いたします。先生のような方がいらっしゃって安心しました。
    私の父もヘビースモーカーから肺炎になって亡くなりました。志村さんも高齢で肺炎経験者。感染症で亡くなって何がおかしいのでしょうか。日本全国で死者200名以下。コロナは感染力が高く、しぶとく死滅しない。しかし重篤率、死亡率は低い、いわば「ショボイ」ウィルスだと思ってます。

    スウェーデンがいい例です。70名以上の集会などは禁じているようですがロックダウンもせずに人々は春を楽しんでいるようです。一方、ロックダウン している英国はスウェーデンよりも感染、死亡率ともに悪化しています。自殺者も増えています。所詮ロックダウン 程度で感染は防げないのですから、最低限のことを気をつけつつ、経済も生活も普通に継続すべきと私は考えます。

    こういう時、感情が先走る人たちは「マスク無しはテロリスト!」とか「手を殺菌消毒しない人は身勝手!」とかヒステリックになります。頭を使って冷静になって欲しいなぁと思います。通常タイプのマスクではウィルスはブロックできないし、皮膚を殺菌消毒すれば常在菌を殺してしまってかえって危険です。

    福島の時は逆に「危ない」と言うと非国民扱いされました。今度は意味のない対策に同調しないと非国民扱い。人の愚かさを目の当たりにして悲しくなります。先生のような情報発信をしてくださる方が増えることを願うばかりです。

  • #41

    浅村周 (木曜日, 16 4月 2020 17:41)

    メールマガジンを登録したところ「名刺交換などでご縁をいただいた人に送っています」とのことでした。
    僕はFBでシェアされた記事を読み、とても共感し考えさせられたので僕自身もシェアしてしまいました。
    直接お会いしたことも講演会にお伺いしたこともございませんので残念ですが登録解除し、FBのシェアも削除いたします。
    森田さまの活動や書かれた文章には夕張の時代から関心を持ち共感しておりました。
    勝手にシェアするなどご迷惑をおかけして申し訳ないです。
    これからも先生の活動に注目し、陰ながら応援しております。
    医療者の感染が増えているとのニュースがありました。
    くれぐれもご自愛いただき、さらなるご活躍をお祈り申し上げます。

  • #42

    医師3年目 (木曜日, 16 4月 2020 18:58)

    なんか、遥か昔に教わった「社会契約説」を思い起こす文章だなぁ、と思いました。
    文中の「家畜」の比喩は、行動や決断を含めた自由権を全て”委譲”した人、という意味合いでしょうか(#1)。

    決定や決断って行為は、確か疲れるし、後悔のタネにもなるし、後方視的に誰かのせいにできないのが怖いですね。
    でも、自己決定権を第三者— 文中の例なら国家や自治体— に丸投げしても、その決定や政策の結果生じた事象は誰も肩代わりしてくれなくて。
    年齢、人種、職業、経済格差に関係なく、結果からは逃げずに自分自身で納得するしかない。

    「ゼロリスク教」を崇拝するのも、
    「リスクは低減できない、共存・許容・選択する対象である」と考え中庸点を模索しにいくのも、
    結局は選択の自由。どちらもある意味正しいし完璧ではない。

    自由権を委譲し (=放棄したつもりになって)、自ら「家畜になる」のも、
    「どの予測ももっともらしいしエビデンスは微妙だけど、それらを材料にして自分なりに生きよう」とするのも、
    結局は選択の自由。どちらもある意味正しいし完璧ではない。

    何れにせよ、年齢、人種、職業、経済格差に関係なく、生じた結果からは逃げずに自分自身で納得するしかない。

    私一個人としては「家畜になる」(=自由権を委譲する) という選択 をすること自体は認められていいのかな、との思います。ただ自ら家畜になりに行った結果生じた未来を「畜産家」のせいにしだしたら、まあそれも自由なんですか、それは ”生きて”はいても “活きて” はいないなぁ、と思ってしまいます。

    こういうこというと「選択の余地すらないほど苦しんでいる人の気持ちがわからないのか!!」とノイズが入りそうですが、それには共感はできても同情はできないし、そもそも選択肢はあるものじゃなくて作るものだし、選択の余地がなくてもあっても結果を自分で受け止めるしかないのは同じだと思います。と返します。

    冷淡かもしれませんが、事実は事実で直視しないといけない。

  • #43

    メルボニアン (木曜日, 16 4月 2020 21:37)

    インフルエンザでも毎年沢山の人が死にます。 医療を正常に機能している先進国のCOVID-19は2-3%と悪くない。
    しかし イタリア、スペイン、UK, アメリカ で医療崩壊が起こることによって 致死率が高くなるというのは 素人でもわかります。 沢山の医療の方も命をなくしています。 USは3月の時点ではそのような考え方で対応が遅れ、ICUが足りずに救えた命もなくなっています。 いつか人は死ぬでしょう。 それを言ってしまえば、何も進まない。あなたの大切な人が死んでもきっとあなたは いつかは死ぬ時期がくるのでと思うんですね。

  • #44

    雲井 暁 (金曜日, 17 4月 2020 10:53)

    森田先生の投稿に共感した一人です。Facebookにもコメントいたしましたが、今回のコロナ騒ぎで医療者が「死と健康の恐怖」によって世界を動かしたのには、「禁煙施策での強烈な成功体験」が伏線としてあると思います。煙草という合法の嗜好品を、ここまで締め出すことができたのは医療者にとって大きな自信になったことでしょう。政治家にならなくても国を動かすことができたわけですから。
    私もSNSでは多くの医療関係者と関わっており、その多くが煙草の弊害を唱えておられます。先生の投稿にならえば「禁煙させることで命を守る」「禁煙しないと死ぬ」という恐怖のメッセージ…というところでしょうか。現状では加えて「喫煙者が感染を拡大させる」論も隆盛ですね。

    歩き煙草や吸い殻のポイ捨てなどを厳罰化したり、「吸えない店と吸える店を明示」したりといった方法を取らず、「ゼロリスク神話」に基づいた強硬策を推し進めることができた成功体験は、今回の医療者による世論掌握と無関係ではないと思います。

  • #45

    品川雅子 (金曜日, 17 4月 2020 13:56)

    ごく普通の市民というのは、実際のところ奴隷なのだと思ってます。情報も制限され、人権という錦の御旗は余り支えないし。で、今の時代死ぬ権利は奪われて、自然に死ぬことについては医療が疎外してる印象が有ります。病人怪我人は金づるになってます。命がけで頑張ってる医療従事者の方々には大変不謹慎で暴言になることを、承知であえて言います。フランクルのことばで、死と苦悩が生を実存とすると言うのがあったとおもいます。どう死んでいくかとどう生きていくか奴隷でも考える自由はあります。

  • #46

    寄尾愛 (土曜日, 18 4月 2020 07:33)

    全国にある医療法人の通所介護で働く現場の一人です
    あたしもまさに同じ思いで利用者さんと向き合ってます
    先日日々をほんとに大切に過ごされている一人の利用者さんが
    コロナが流行ってよかった。高齢者は死んだらいいんよ
    若い者が楽になれる。
    と言われ、そんなことないんよ❗ 今こそ自分の免疫力を高めて
    コロナにかかっても死なないからだ作りの為にあたしらがおるんよ
    あなたが死んだらどれだけ悲しむ人間がいるか❗少なくともあたしは必ず泣くよ❗
    と様々な会話でどうにか笑顔になってもらいましたが、
    これが今の日本社会の現状かと悲しくなると共に、それならどうすべきかを考えました。

    職員の朝会では
    あたしたちは現場のプロ意識をもって当たり前の感染対策を
    行った上で、今日1日を安心、安全、笑顔で過ごして貰う
    介護職は特に不安を聞き出し、笑顔にさせる❗
    利用者さんの朝会では
    あまりTVに惑わされすぎず、手洗い、うがいをはじめの
    三密をさけながら、通所介護に通って免疫力を向上させる
    沢山の笑顔で過ごす
    管理者会議においては
    管理者からスタッフに対して何が起ころうが
    誰もせめない、批判しないスタッフ教育の徹底
    を意見させてもらいました。

    死なない人間なんていない、死を誰よりも近くに感じているからこそ
    の今回の記事とても心に響きましたし
    あたしのしていることは間違いではないと
    勇気を頂きました

    医者という立場上もっと大変な苦労もあると思いますが
    どうかお身体気をつけて
    これからも沢山の人に勇気と希望を与えて下さい

    感謝の気持ちをもち、シェアさせて頂きます

  • #47

    小早川直 (土曜日, 18 4月 2020 21:48)

    高齢者の多い病院に勤務している内科医です。新型コロナについての森田先生の感じ方や考え方に、大いに共感をおぼえます。人は必ず死ぬことは、万人が認めるところです。問題は死が人生における最大の問題かどうか、です。判断基準が宗教や倫理・歴史・科学など自分の外部にある人には単なる生死よりも優先するものがありますが、判断基準が自分の内側にある人には自分の希望や幸福が最優先となり、最終的に生死が最大の関心事になります。これが議論のかみ合わない理由だと思います。これからも森田先生のお考えを読ませてください。

  • #48

    杉本則子 (日曜日, 19 4月 2020 00:28)

    新型コロナの世界の状況にもやもやしていたところ、この記事に辿りつきました。
    先生のおっしゃるとおり、人はいつか死にます。自分自身のことであっても、そして誰にもその時期を特定することはできません。
    コロナ以外、いくらでも理不尽で納得のいかない死に方はあるのです。自殺以外、自分で選ぶことはできません。
    施設に入ってる母親はとうとう家族とも会うことが許されなくなりました。足腰が弱るのも時間の問題です。
    死亡率が低いものに、怯えて暮らすより、予防をしっかりして、自己責任で生活していけるような世の中になってほしいです。
    貴重な記事をありがとうございました。

  • #49

    神谷美子 (日曜日, 19 4月 2020 10:20)

    昔若い近親者を癌で亡くした時から今の主流の死生観と医療にずっと疑問を抱いてきましたので
    今回この様に世間が動いているのを見ても「当然の流れだな」と思っています。
     癌治療は手術と抗癌剤のフルコース、必ず最初に「効いているようだ」と言われそこからしばらくして「効かなくなってきた」と告げられ、次の薬へ。最終的には借金をして治療受けていましたが、そんなに年数持たず亡くなりました。 転移する度に手術していたので「体の中あんまり無くなっちゃった」と言っていたのを覚えています。
     その後少し経って小林まおさんが亡くなりました。北斗さんが癌になりました。毎年検診に行くのになぜこんなことになったのだという話でワイドショーに出ていた医師は「検診の次の日になる可能性もある」というような話をしていました。
     ここでは、じゃあ何の為に検診するの?って結論よりもやはり検診をしていたからこれで済んだのだと言う事になったと記憶しています。
     すべてのメディアと医療業界は結託して「医者にかかれば治る」「薬を沢山飲んだら治る」とそういう依存させる洗脳をしているんだと確信しました。
     インフルでも別に特効薬があるわけでもなければワクチンだって怪しい。コロナに限って特効薬ができるわけもなく、そういうことはまずメディアではいわれない。
     今日のコロナの集団で籠に入るような意識の状況はもうずっと昔から下準備されていてコロナが最終仕上げなのではないかと思っています。
     そして子供と映画マトリックスの話をすると「お母さん、結果が変えられないなら気づかない方が幸せかもよ」と言われそうじゃないとは言い切れないのです。
    大変長文失礼しました。

  • #50

    山本祥等 (月曜日, 20 4月 2020 05:27)

    自粛のなかモヤモヤと感じていたものがスッキリしました
    とても考えさせられる記事でした
    ありがとうございます。

    私は28歳です
    30歳を手前にして、つぎの世代を意識するようになってきました
    私のじいちゃん、ばあちゃんが親が残してくれた権利を守っていけるような、そんな活動を行うきっかけになりました

    私に出来ることは限られていますが、出来る範囲で活動していこうと思います

  • #51

    Sano (水曜日, 22 4月 2020 01:20)

    たいへん僭越ながら、、、世にもっと出てほしいご意見、と思います。

    テレビでは、意味のあるのかないのか、感染者「累計数」で影響受けやすい人を怖がらせ、
    他の病死との比較や、失業増・多数の企業の破綻の可能性などとの対比的なことも流さない・・・
    著しく異常ではないか?と思います。

    経済としては、今月末・来月末などの各支払いのヤマを越えられないと、廃業や倒産もこのままでは相次ぐでしょう。
    (さすがに国はこのまま無策とは思いませんが、ただ、財源だって無限ではないでしょう)

    飲食業や、批判されがちな水商売やパチンコに限らず、他の商売、それらと繋がっているお仕事
    だってたくさんあり、何故そこが想像できない人が多いのか・・・。
    仕事が無くなる&早々に次を見つけられる状況でなければ、自殺や路頭に迷う人・家族だって、
    それなりに出てしまうでしょう。
    (こういったことでも、「蓄えがないのが悪い」、「仕事なんてえり好みしなければすぐ見つかるハズだ!」とか、
    いかにもわかったような意見もありますね・・・)

    下手したら大恐慌、食糧難とかまで可能性はあると思います。(あくまで可能性として)

    自粛自粛!、コロナ無くなるまで自粛!的な同調圧力を声高に叫ぶ人は、そこを一遍考えてもらいたいと切に思います。
    (予防線を書くのもアホらしいですが、風邪やインフルと同様あるいはそれ以上に、それなりの予防策は意識するとして)
    仰られるようにリスクをゼロにすることなんてできないのだから・・・、
    それを求めるなら、交通事故を無くす=車を廃止するのとセットで意見を出すならまだ納得できますね。

    コロナ以上の死亡率のウイルス・細菌がもし今後出てきたときに、そういう人は聞いただけで卒倒してしまうのでは?

    家族を食わす者の1名として、すごく憂慮しています。

  • #52

    田村 琴絵 (水曜日, 22 4月 2020 19:33)

    私も、ずーっと考えていました。
    健康って、そんなに大事だっけ?
    教育を受ける権利よりも?幸福追求権よりも?
    それらは、さほど遠くない昔の先輩たちが、幾多の犠牲、多くの命と引き換えに、今の私たちに残してくれたものなのに。
    その大切な遺産である私的権利の多くを、ウイルスごときのために、こんなあっけなく犠牲にしてしまうなんて。健康って、それほどのものか?
    まあそもそも、食糧の多くを輸入に頼っている日本には、「封鎖」という概念はありえないのに。
    極論ですが、私は国民全員ウツになるぐらいなら、国民全員コロナ感染のほうがずっと「健康な」人間のあり方だと考えています。
    この持論、最初の頃こそ笑って聞いてくれる人がいたものの、今ではもはや自分でも言い出す気すらなくなっていました。
    本音を吐き出す場を与えてくださって、ありがとうございました。

  • #53

    山崎寿紀 (水曜日, 22 4月 2020 22:09)

    この記事を読ませて頂き自分が今回りに発言している事が間違いでは無いと思えました。
    全くの同感です。

    人々は安心を求めゼロリスクで生きようとしていると思います。
    しかし我々が目指すのは安全であり、出来る限りの事を行い、受け入れるべき事をしっかり受け入れ、過剰になり過ぎた時に取り返しが付かない事になる。と言うことを常に考えておかなければならないと考えております。

    素晴らしい記事有り難う御座いました。

  • #54

    飛谷美永 (木曜日, 23 4月 2020 15:49)

    ただの看護師です。
    追記に至るまで共感しかありませんでした。

  • #55

    竹島樹里 (木曜日, 23 4月 2020 19:53)

    看護師です。
    今を大切に生きさせてください。
    未来ある子供達に1日1日を一生懸命生きさせてください。
    何万、何億とある生きていく中でのリスク、そのたったひとつであるコロナで、全てを奪わないで欲しい。
    人はみないつか死にます。
    一人一人の人生を豊かに生きさせてほしい。
    本当に心からの願いです。

  • #56

    津金澤寛 (木曜日, 23 4月 2020 23:05)

    世の中全体に勧善懲悪的な、単純かつ偏った価値観が蔓延し、経済の混乱が貧困と憎悪を生産した結果、日本国の平安が訪れるとは予想しにくいです。

  • #57

    Deva Ambho (金曜日, 24 4月 2020 20:18)

    同感です。
    人は確実に死にますよね。
    死を恐れるとどんどん人間的な生き方からそれてしまいますよね。
    死を受け入れたなら、生きることを楽しめるようになるのですが。

  • #58

    杉浦 けんご (土曜日, 25 4月 2020 10:30)

    勇気ある意見公開に賛同します。

    命は大切ですが、死なない人はいませんから、ゼロリスクは最初からあり得ない話です。交通事故のリスクとモータリゼーションのベネフィットを比較して考えるべきであるのは明確です。ただし、フォード .ピント事件で明らかにされたように、民主主義社会では、生命の危機をもたらすリスクに対する解決策があるにもかかわらず、コストを理由に対策を取らない選択をした人物や政治家は、大きな非難を浴びることになります。
    今回の武漢を震源地とする新型コロナで、一般市民や政治家が過剰な反応をしているのは、まさに「ワクチンや治療薬があれば、治る」と勘違いしている事にあると思います。その点で、このブログで指摘された「人は必ず死ぬ」という指摘が、もっと重要視されるべきだと思います。ワクチンや治療薬が開発されても、新型コロナで死ぬ人はゼロにならないという事実を世間が受け入れてはじめて、議論の土台が成立します。
    ゼロリスクが達成可能だと思い込んでいる人達には、このブログの趣旨が理解できずに強烈な非難を浴びるだけでしょう。

  • #59

    高橋美穂 (土曜日, 25 4月 2020 11:46)

    私は兄(38歳)を突然死(病死)で亡くした時、あまりのショックと自分に何かできたのではないかとの後悔が長くありました。その時、死は誰にでもやってきて、それはいつか誰にもわからないと感じました。だから、日々、今一番大切にしたい事、やりたい事は何かを考えて生きています。3年前肺がん末期の父は、ぎりぎりまで自宅で好きなように過ごし、最期はホスピスで静かにせたので、兄の時のような後悔はありませんでした。
    新型コロナはあっという間に重症化し、きちんとお別れもできずにお骨になってからの対面と聞きます。もし、自分の軽率な行為により大切な人を亡くす事になってしまったら、私が兄を亡くした時とは比較にならない程の後悔に苦しむのではないか…と思います。誰にでもいつか訪れる死なので、怖がり過ぎる事なく、でも、自分のできる範囲で感染防止対策をし、日々を大切に生きたいと思います。

  • #60

    澤田悦子 (土曜日, 25 4月 2020 21:53)

    私は63歳の主婦です。ずっとこのコロナ騒動が不思議でなりませんでした。 コロナ感染で寂しく一人ぽっちで死ぬ人と手を握って看取ることも出来ない家族。人間らしくない!生きてるもの、死は、いつかではなく、いつでもやって来るのです。  何かに踊らされてる感じがします!  スーパーなどでも人同士でバイ菌を観てる様な空気感です。  普通に、インフルエンザなどの流行の時の各個人の対応、予防でいいのではないでしょうか。

  • #61

    仲村一郎 (土曜日, 25 4月 2020 23:55)

    整形外科をしているものです。
    日々の診療の中で、最近とてもモヤモヤしていましたが、すっきりしました。ありがとうございます。

  • #62

    関口 慧 (土曜日, 25 4月 2020 23:56)

    東京にいます20代です。
    先生の記事に痛く共感しました。

    トルコの場末の飲み屋にてリンチされ、死線をさまよい生還してから、
    死は自分が見えないすぐそばにあることを実感しました。

    「自分は死なない」と思っている平和ボケした人が多いように思います。

    人は必ず死ぬ。
    大事なことは、どこに矜持を抱いて死に行くか、死生観を持たないといけない。
    メディアや何らかの力に振り回されている今の状況は明らかに異常です。

    人間が人間らしくある社会の維持を願い、訴え行動していこうと思います。

  • #63

    鈴木太郎 (日曜日, 26 4月 2020 14:19)

    僕が思っていたことそのものだった。このような意見を見れて嬉しい。

  • #64

    Henry Shimada (日曜日, 26 4月 2020 20:23)

    命の値段には、価値の差が出るときがあると思います。此処に、救える命が2つある。一つは10歳の子供の命、もう一つは80歳の命。どちらか一方を救えるなら、10歳の子供を優先すべき。人間の命が、家畜以下にならないようにするためには、必要なことです。
    件のPCR検査ですが、これを保健所の手に委ねるからおかしなことになる。これらは医師の手に委ねなければならないと思うのですが、日本の医療システム上そうはなっていない。
    又、PCR検査を全員に行うことの愚行こそが、医療崩壊を招くと思いますが。

  • #65

    鳥居総一郎 (日曜日, 26 4月 2020)

    全般的に同感。また医師の苦悩としても受け止める。しかして、社会として、まだ足りないものはないかという問いは、コロナ医療では明確だ。医療体制が不足だ。医療体制とは、柵。柵がなければ、家畜も養えない。結果、屠殺もできない。この体制作りができるまで、家畜も牧場主も安心できない。

  • #66

    藤田剛 (月曜日, 27 4月 2020 23:05)

    「人は100%死ぬ」という事とか、「高齢者医療の弊害」みたいな事には同意します。しかし、人はいざ死が間近に迫った時に本能的に死を受け入れられない、助かりたいという生存本能が働くのものだし、高齢者が極度の衰えを見せ始めたり、死の危険が迫った時にできるだけ助けたいと思う家族、肉親は思うもので、その気持ちに寄り沿うって助けてあげるというが、我々現代社会の医療の根本になっていると思います。なので、この根本を変えても良いという社会的コンセンサスが出来上がらない限り、悩まれている事は解決しないと思います。

  • #67

    清水 聖恵 (月曜日, 27 4月 2020 23:50)

    私も看護師を長くやっております。さまざまな方の死に立ちあい考えさせられます。

    昔と違い、家でなくなる方がほとんどいなくなり、

    100パーセント必ず何らかの原因で、わたしたちは死ぬということを向きあえず、

    病院に行けば何とかしてくれる、と生活を振り返ることなく、すべてを依存している方もそれなりにいて、

    医療への幻想、過剰な医療への期待、治って当然、合併症があるほうがおかしいって思う方と
    実際にはロボットではない、人間がやること、100パーセントをもちろん目指しても、そうはならないこともあり、なかなか相容れないものを感じています。

    もちろん、みな真摯に向き合い、ご飯休憩もほとんどない日もあるなか、現場のみなさんは、本当に一生懸命やっていると思います。

    治ってあたりまえ、死ぬことはありえない、というリスクゼロを求めれば、求めるほど医療現場で働くもの達はみな疲弊しています。わたしが新人のころより顕著に感じます。

    入院して病院でなくなる方がほとんどになっているこのご時世で、

    100パーセント人は死ぬのに
    気持ち的に、死なせてはいけない訳ですから、、

    ちゃんと見てくれなかったのではないかとか、もっとできることはあったのではないかとか、
    何か間違えてたのでは?医師が未熟だからではないか?とか
    色々と家族の立場からしたら、そのように思う気持ちもわからない訳ではありません。本当に大事なひとを亡くすことは、癒されない思いを抱えて生きていくことだとも思います。

    監視や指摘、医療への過剰な期待と、実際にできる薬だけに頼る治療と、副作用との現実とのズレ。

    なぜ病気自体は存在し、
    自分の人生に起きた病気そのものの意味は何なのだろう
    と本人が問うことが、100パーセント死ぬのだから、残りの人生をどうするか、人生の質を上げ、本当に本人らしく生きることにつながると思っています。

    どんなものを普段から選んで食べ、どんな考え方や生き方、ストレスや習慣を生き、

    また日本は先進国で唯一のガンが右肩上がりの国の中、

    ヨーロッパやアメリカなどの世界の流れと逆行し、問題のある農薬規制の拡大や、食品添加物の多いこと、水質汚染の緩和を知らないところで通し

    普段の日本の食品の質、アレルギーも増え、本当に日本人にとって大事な事実は報道されなく、マスコミ各社同じことしか報道されない、不自然さ。

    日本の和をもって尊しで、正しさから争うのではなく、

    さまざまな立場や視点から
    それぞれ意見が話せることが大事なことだと、これからの時代特に思います。

    自分の正しさで、相手をやっつけようとしないこと。
    正しいは、争いを生みます。

    従属を選んでも、自分が自分で生きたい人生を、それぞれ生きたらいいんです。あとで、ひとのせいにして、どうこう言わなければいいんです。

    日本人の空気を読むのは素晴らしいことだと思いますが、

    同調圧力で、違う意見のものと争わないこと。相手の考え方の違いや、そうだとしても、考えが違うだけで、そのひとの存在自体を否定することにはならない。
    おかしい論理だと気づくこと。

    相手の存在を尊重すること。それもない状態で意見は言えない。

    そもそも同じ訳がない、言わないだけ。

    自分を主張しないと生きていけない文化の欧米人と違い、これが戦後教育のせいなのか不明ですが、苦手な民族なんだとも思います。

    情報を鵜呑みにせず、病名も治療も、ネット環境が整っているこのご時世、自分参加で調べ、自分の頭で考えられること。

    自分で選択し、自分を生きるひとが、「(先生の言う通りだと思うし)言われた通りにします」
    、という選択自体も、自分の選んだ決断を責任をある選択とし、依存、従属から脱却できるひとならば

    どんな結果でも、ひとに決めてもらった訳でないなら、
    自分の選択に責任を持つのだから、何があっても、いい人生だったと笑って死ねることにつながるのではないかと思います。

    医療者は度々立ちあう場面ですが、本人が真実を知りたいと思うこと、家族はガンの告知や、真実を伝えることに関して伝えたくないと、真逆の意見を持ちます。

    本人=家族ではないんですし、
    いくら愛してくれていても、立場が変われば、一致するように感じますが、見え方は変わってきます。

    延命はわたしも、この患者さんは、家族のために生きているんだ、と思うことが多々あります。

    しかし良い、悪いではなく家族を悲しませないようにという本人の選択が深い部分で選んだ結果なんだと思います。

    医療は、命に携わるから聖職で人格者がなるもの、ドクターは頭がいいから、何でも全て知っている、と思われている方が大半でしょうが、

    わたしが知っている方々は、とても常識的なこころ優しい、人間味の溢れた、素晴らしいドクター達です。

    意識は一般の職業より高いと思いますが、基本的に、守秘義務があるので、情報が表に出ないだけで人間として、特別な訳でもなく、一般の会社と変わりないと思っています。

    あくまでわたしの一個人が携わって思うことですが

    患者さんは、自分の身体を預けるのですから、医師とは対等という意識を持ってもらい、

    また、病気になったことで被害者にならないこと
    (被害者意識は加害者をつくります。)

    また自分の病気は長い間をかけてなったものならなおさら、1日やそこらで治るわけない、と事実を見てもらうこと

    自分は何もできないではなく、出来ること、変えられることを探してもらい

    病気自体を、自分のものとし、
    人生を振り返る機会にしてもらえたら、

    もっとお互いに風通しのいい関係で、治療やサポートできると思っています。

    本来、対立する関係自体、おかしなことです。

    森田先生の勇気のある発言に賛同致します。

  • #68

    藤本隆行(Kinsei R&D) (水曜日, 29 4月 2020 14:15)

    率直な意見、しかも医師という肩書がついたうえでの、を書いてくださってありがとうございます。
    おかげで、自分の中でもやもやとしいていた気持ちが、可視化できました。
    「人は死ぬ=死なない人はいない」というのは、エイズ禍で友人をなくした頃にずっと心に留めていたことでした。
    私の祖母は、高齢になって認知症も発症していて先ず病院に入院し、その後は特別養護老人ホームで息を引き取りましたが、意識がある限り見舞いの者に、うちに連れて帰ってくれと手を合わせてました。結局、叶いませんでしたが。
    人生の最終期を家族と共に自宅で過ごすというのが、家族の負担や不安を考えると簡単にいかないのは分かりますが、そもそも病院で死ぬ以外のオプションはほぼ選びようもないという日本の現実は、かなり歪だと思います。
    そしてそのような、質ではなくて数で一生を計るような制度設計が、現代の日本社会の基礎に強くある気がします。

  • #69

    山田知則 (金曜日, 01 5月 2020 09:26)

    答えは簡単で、患者の自己申告による安楽死を認める事です。
    法や医療改革で最も優先すべきは「安楽死」です。
    これが有るか無いかで、多くの患者と医師の向き合い方が変わります。

  • #70

    おかやん (土曜日, 02 5月 2020 23:08)

    その通りだと思います
    このまま、経済死んでも良いのかな?

  • #71

    榎本真理子 (日曜日, 03 5月 2020 13:16)

    非常に腑に落ちました。
    私もモヤモヤしていたんです。
    異常なコロナ騒ぎに。
    周りにもピリピリしている人たちばかりです。
    もううんざりです。

    私は葬儀の司会をしています。
    きっと普通の人たちよりも、死を身近に感じています。

    森田さんの仰る通り、

    人はいつか死ぬ。

    高齢者は、亡くなりやすい。

    他人を押しのけてまでマスクを奪い取り、店頭の消毒液を盗み、外を歩いている人を罵倒する老人たち。

    往生際が悪い
    みっともない

    そう思うし、日本という国が、まさにコロナパニック。
    マスコミも恐怖を煽りまくるだけ。

    おかしい世の中です。

  • #72

    龍 誠 (日曜日, 03 5月 2020 23:57)

    一部ほぼ同意件です。私も1月から事態を注視してきて、同様の結論に至っています。「コロナ」は日本人をほとんど殺していません。だからこれは危機ではないのです。
    それより問題なのはマスコミを使って「危機」を煽り、国民を脅している勢力です。結局、大した被害も出ないままに収束を迎えた時、彼らは手柄顔をするでしょう。しかしそれは事実とは異なっています。
    そして、恐ろしい不景気が国民をさいなむでしょう。彼らに責任を取らせることはできないのでしょうか?

  • #73

    大野かおり (月曜日, 04 5月 2020 10:11)

    仰られてること、とてもよくわかります。確かに人は生まれた以上いつか死にます。でも、たとえば実際に自分に死がきたときまだ学生の我が子だけ残して死ねるのか、自分の子が死に直面したらなぜ母より先にいってしまうのとか相当悩みますね。きっと。だから常にどう生きた証を残すのか考えますが。コロナはほかのコメントにあるとおり、自分も感染してるかもしれないからお互いさまで大変だったねと感染者になってしまった人に声かけられる世の中になってほしいかな。

  • #74

    森下浩義 (月曜日, 04 5月 2020 23:05)

    僕はこの方の考え方に全面的に賛同しました。

    もっとたくさんの方の命を奪っている他のリスクには一切目をつぶり、
    TVやマスコミやネットの世界で話題になっていることばかりに心を奪われ、心を支配され、思考停止になって。

    自分では考えているつもりでも、
    じつは脊髄反射でパニックになって、
    自分で生み出したイメージを怖がっているだけなのに、
    「ちゃんとリスクヘッジしています」だなんて、
    何も考えていません、と自白しているようなものだと思います。

  • #75

    Yuki (火曜日, 05 5月 2020 02:39)

    納得です。
    今 バンクバ-に住んでいますが、こちらでも人々はコロナに対して過剰反応しています。冷静さを失ってる人が多いです。外に出たらコロナにうつり死ぬと勘違いしてる高齢者もいて家に引きこもり異常に怖がっています。家にいるなら換気も必要だし、たまには外の日光にあたり新鮮な空気をすうことも大事だと思うのですが... ス-パ-の中でも進行方向を決められていて(床に矢印が貼られている)買いたい物を探していて矢印に反した行動をしたら他の客から避難されます。

    こまめに手洗いをし、咳やクシャミなどで唾などが人につかないように気をつけるだけで良いと思うのですが・・・
    それを言うと批判されます。コロナ騒動の波にのり怖がってないと批判されます。

    死を異常に怖がる高齢者・・・私を含め人はいつか必ず死ぬ。もっと言わせてもらえば「人は死ぬ義務がある」と私は思ってます。自分自身去年こちらで左肺炎になり、死にかけました。日本に一時帰国し、日本の治療で救われました。幸い一命をとりとめ、ありがたい気持ちでいっぱいでした。でもいつかは自分も死ぬと言うことが分かっているのでこのコロナ騒動も冷静に受け止めています。

  • #76

    伊藤政子 (火曜日, 05 5月 2020 15:08)

    大変共感しました。
    人は必ず死ぬ。
    死ぬ時に痛いのが怖いですが、死ぬのは受け止めています。仕方がないこと。

    今の社会を見ていて、今回のコロナで死ぬ確率より、経済死の方が高くて心配です。明日は我が身だと思えて不安です。
    自殺者が増えなければいいなと切に願います。

    マスクエチケット、手洗い、これを忘れずにコロナと共存する社会になってほしいです。

  • #77

    Yukiyo Ishiwata (火曜日, 05 5月 2020 19:51)

    私は素人…私は素人です、ドクターでも無ければ、政治家でも無い。おこがましいですが、本当に私もそう思います。疾患のある人は、どんな時も危険だし、高齢者は、特に疾患があり、心豊かに生きていない人、すなわち、免疫力が低下している人、ビビリは常に神経質でマイナス思考、免疫力は低いと感じます。私は、経済が、人のためにこだわりを持ち商売をしてきた方々が心配です。小さな小さな個人事業主の私は、人ごとではありません。二足の草鞋中の私は、今回は逃げ切る事が出来ますが、本当に一本で頑張ってこられた方、心配です。しっかりと個人個人が情報を精査して欲しい。長いものに巻かれっぱなしではなく、自分を持ち、しっかり考えて行動して欲しい。にわか神経質の人間が多すぎます。

    勇気を頂きました。ありがとうございます。

  • #78

    Yuko (水曜日, 06 5月 2020 10:03)

    コロナで亡くなる人も、倒産失業で苦しんで自死を選ぶ人も、同じ命です。
    命に軽重はないはずですよね。
    なのにコロナで亡くなると可哀相、経済的に追い詰められて亡くなると
    自己責任と思われるような世間の風潮が恐ろしい。これからどれだけ多くの
    自殺者が出るでしょう。経済破綻は確実です。中小、零細が倒れれば、
    大企業だって倒れます。みな繋がっているので無関係な人はいないのです。
    日本人の劣化は急激に進んでいると思います。マスク転売やドラスト店員
    さんへのモンスターカスタマーぶり、家族でレジャー気分でスーパーや
    ホームセンターに繰り出す、自分本位な一部の高齢者たち。。。

    せっかくネットがあって、中には世界の真実を報道している記事もあるのに、
    TVの煽り報道ばかり信じて自分の頭で考えない、そういう国民が大半だから、
    パンデミックを煽りたい人たちには好都合な国民でしょうね。
    偉そうに書いていると思われるかもしれませんが、私は違うという驕りの気
    もちはありません。私も大衆の1人にすぎませんが、皆で同じ方向を向いて
    大義名分のためならどんな犠牲も厭わないという気持ちにはなれません。
    コロナ騒動以来、日本の将来には絶望感しか持てません。

  • #79

    佐渡 志麻 (水曜日, 06 5月 2020 19:18)

    私はコロナにかかりました。
    コロナにかかったとき、このウイルスはなんだろう?今までの経験にないウイルスと思いました。
    私は生後間もない頃から、体が弱く、いつも入院してました。
    虚弱体質なので、ウイルスはすぐに私の体に入ります。
    いろいろな病気を経験してきた中で、コロナウイルスは今までとは違うと感じました。
    普通の風邪とは違う。でも、弱いウイルスだ!とも同時にわかりました。
    インフルエンザの方が、苦しいです。

    このコロナ騒動で、わかりました。
    みなさん、とても幸せな体で生まれてきているんだなと。
    健康しか知らずに幸せに生きてきたんだなと思いました。

    森田先生の貴重な少数派の意見。
    私も同感です。

    そして、私は、愛するものが亡くなるより自分が死ぬ方がいいです。
    愛する人を守りたいから、本当に愛しているから、弱いウイルスで病気になってもらいたい。
    将来、大病にならないように、弱いウイルスならば皆にかかってもらいたい。
    そうやって、人間は生き延びてきたと思うから。

    このコロナ騒動の前から、人間は生きていくのに不安だったんだと思います。
    競争社会だから。
    競争社会で生きてきて、人間が嫌いになった。
    人間が恐くなった。
    コロナが怖いんじゃなくて、人間が嫌いなんです。
    好きな人がいないんです。
    守りたい人がいないんです。
    いたならば、自分は強くなります。
    愛してる人がいたならば、コロナにかかった人を罵倒するなんてことは、絶対にしない。
    コロナにかかった人を心配するだけです。

    資料を見て、他の病気と比べて、軽症者が多いコロナを、
    なぜ、自分はこんなにコロナを怖がっているのか?
    と考えてみてください。

    コロナは経験上、風邪以上インフルエンザ未満でした。

  • #80

    桒原智子 (水曜日, 06 5月 2020 20:00)

    私はコロナの直前に、母を亡くしましたが、多分コロナで亡くなったとしても、思いは変わらなかったと思います。「人は必ず死ぬ」から。そんなに生きることに執着しなくても、と母に対して思ってたくらいですから。
    母が憎かったわけでは決してありません。死という別れに対する悲しみは当然ありました。そういう次元の話ではありません。
    死に対しての反応は、その人の死生観、人生観そのものなのかもしれないと思います。何をきっかけに死ぬか。

    死に対する抵抗は、そのきっかけに対する人の願望なのかなと思います。こういう死に方はしたくない、という。人は寿命を全うした時、魂が体を離れて、別の世界に移ることなので、死なないことに対する執着のし過ぎは不自由ささえ感じます。「みんな、そんなに生きたいんだなあ」と。

    いずれにしても、自然の営み、人が生を終えることをそんなに受け入れられないものなのか、致死率、感染率に大騒ぎしている現象が異様に感じます。でも、そんなこと言おうものなら、まだまだ叩く人は多い。

    いろんな意見があっていい、人はみんな違う、と言いながら、自分と違う意見が出てくると、袋叩きにする現象も、矛盾しています。感情や抵抗感を表してもいいけれど、叩く必要はないはずなのに。

    仰る通り、コロナきっかけで死ぬことにここまで反応するのに、それ以外の要因で死ぬことを考えてた?と私もずっと思っていました。なぜコロナだけに過剰反応するんだろうと。コロナに煽られていないかと。コロナより怖いのは、人のパニック、恐怖心から出てくる攻撃性だと感じています。

  • #81

    竹内文夫 (水曜日, 06 5月 2020 20:11)

    「コロナ」が始まってから、日に日に強くなっていく違和感のありかを正しく言い当てていただいたと思います。
    私は、埼玉に住む「前期高齢」の年金生活者です。なので、多分模範的な「自粛」生活を送り(自分ではなく万一の、他への感染への懸念からです)、あとは居直るという構えです。「80%は軽症か無症状」の方に居直るのではなく、急激に重症化して死に至ることがある「数パーセント」に対する居直りです。
    敬愛していた池田晶子が、「人間の死亡率は100%」と言っていました。すべてはその地点から考えなくてはならないはずです。「フォーエバーヤング」だとか「アンチエイジング」などの、マスコミ(特にテレビ)が好むフレーズが大嫌いというより、虫唾が走ります。いまの報道は、そんな俗情(大西巨人が喝破したような)を根底にしたその俗情への「忖度」、あるいは省みて他を言う態度だけで成り立っているとしか感じられません。ですから、ある時期から、テレビの「コロナ」番組は一切見ません。
    これからの世の中、続く世代の生活がどうなるのか、深い懸念をかかえていますが、私自身に未来を切り開くような力はありません。が、何が正しく何が誤っているのか多少は見通すことはできると自負しています。
    どうか、正論を発し続けてください。

  • #82

    井上英介 (木曜日, 07 5月 2020 11:35)

    全体の趣旨には共感します。なお、交通事故の年間死者数は100万人ではなく、4000人を切っています。やや情緒に流れる印象もあります。正確な記述をお願いします。

  • #83

    森田洋之 (木曜日, 07 5月 2020 12:48)



    皆様

     たくさんのコメントありがとうございます。
    お一人お一人にお答え出来ないのが残念です。
    でもすべてしっかりと読ませていただいております。

    >交通事故の年間死者数は100万人ではなく、4000人を切っています

    日本ではなく、世界で。です。

  • #84

    野生爺 (木曜日, 07 5月 2020 21:04)

    「人は皆死ぬ」などというみんな知っていることをなぜあえて言うのかな。コロナに殺されるのではなく無策な政府に殺されるのが嫌なだけだよ。政府が、年金や医療費惜しさに高齢者を削減しようとしているかもしれないと思ってしまうのだよ。

  • #85

    山田 格 (土曜日, 09 5月 2020 09:10)

    国立科学博物館を数年前に定年で退職したただの生物学研究者です.大筋,おっしゃることは正しいと思います.唯一「リスク」の用法が気になります.多用されている「ゼロリスク」の大半は「死亡率ゼロ」であって,リスクではないように感じます.

  • #86

    角 健太郎 (火曜日, 12 5月 2020 00:32)

    森田先生
    全く同感です。
    新型コロナが悪いのではなく、地上波報道番組が悪いのです。地上波報道番組は正しいか正しくないか、嘘か誠かは情報を発信した後に考えればよいというスタンスです。まずは国民が飛びつくネタ(視聴率が根底にあるのかもしれませんが)を発信します。その情報が正しくなかろうと、果たして嘘だろうと、彼らは一切の責任を取りません。とにかく情報発信ありきなのです。
    PCR検査にしても既知のコロナウイルス、つまり風邪症候群を引き起こすヒトコロナウイルスとの交差検出は指摘されていますが、一切報道しません。

    https://www.yokohama-cu.ac.jp/amedrc/news/202004ryo_covid_1.html

    2018年12月~2019年3月にかけてFluで死亡した日本人は約3100人です。新型コロナの比ではありません。新型コロナの死亡率が少ないのは、国民の自粛や衛生概念が強化されたのは紛れもない要因の一つですが、ウイルス同士が拮抗(私はウイルスの調和と考えます)しているのも原因として考えられるはずです。しかし一切報道しません。

    肉体はBOXです。精神を運ぶためのBOXです。
    地球にいる以上、精神が成長するためには肉体が必要です。我々はこれを定期的にメンテナンスし、精神の成長を促していく必要があります。しかし肉体には終わりがあります。100%終わりがあります。BOXから抜け出した精神がどこへ行くのかは誰も分かりませんが、少なくとも精神を成長させ、喜ばせてくれた肉体に対し、精神は感謝の意を表すはずです。死ぬということは精神が肉体から離れるだけのことです。
    私は最期の瞬間まで、精神を喜ばせられるような生き方をしたいです。

    地上波報道番組の方々へ
    我々国民はあなたたちが思っているほど馬鹿ではないです。





  • #87

    匿名 40代男 (月曜日, 18 5月 2020 17:42)

    初めてコロナ関連で現実的で共感できる記事を読んだので、コメントします。

    僕は素人で医療関係者でもなく、とりあえず世間がマスクマスクと騒ぐから出かける時はマスクをしてるだけ、という感じで普通に過ごしています。

    コロナ関連のニュースが流れるたびに、なぜこんなに騒ぐのか、と疑問に思っていました。

    どうせいずれ死ぬんだし、ぎゃあぎゃあ騒がずに普通に暮らして、うつって寿命より早く死んだら運が悪かった、で僕はいいと思っています。家族や知人の誰かにうつしたら、ああ、ごめんなさい、あなたも運が悪かったね、というだけのことです。

    コロナで死ぬことだけを異常に恐れるのはどう考えても理論的ではないと思っていたので、先生の記事を読んで少し気が晴れました。ありがとうございます。

  • #88

    菊地 邦歴 会社員 (月曜日, 18 5月 2020 18:43)

    いい記事ありがとうございます。
    人は必ず死ぬのです。
    そして、それを制御できると思っている今の社会の風潮におごりがあると、自分は考えてます。
    だからこそ、一人一人がどのような人生を歩みたいかを自分自身と対話して、考え行動するのが大事であり、それが今のタイミングにすごく重要と感じてます。

  • #89

    葦名正秀 (火曜日, 19 5月 2020 23:13)

    都内のしがない薬剤師です。内容に共感しました。
    最近では閉塞感からか世間だけでなく院内でも集団ヒステリーじみた行動が多く見られ辟易していましたが、先生のような視点を一人でも多く持つだけでもこの風潮を変えていけると思っています。
    非医療人にはなかなか想像がつきにくい部分なのかな、と思うと同時に、私たちはそれを教育(というとおこがましいかもしれませんが)して伝えなければいけないのだなという使命にも駆られました。

  • #90

    高松 泰代 (水曜日, 20 5月 2020 08:52)

    そうなんです。ものすごいモヤモヤが何だか分からずイライラしてきていました。10歳のある日ー人間って絶対に死ぬーと認識しました。以来死ぬのを前提として生きてきました。まだ生きています。あちこちガタガタです。死ぬのは怖くないです。でもわがままですが辛い苦しい人間じゃなくなって死にたくはない。お医者様に期待するのは、そこだけです。長寿医療不要です。(五十代までの医療は必要です。) 長生きさせないでください。介護のためにわかい人の人生奪ってはいけません。

  • #91

    剣咲俊風 (木曜日, 21 5月 2020 02:39)

    本当に同感です。国家による責任逃れのコロナ自粛強要から国民の意識は変わりつつあります。
    ストレスやネガティブな感情や怒りが自粛警察みたいな屈折した心を生み出していると思います。
    コロナに対しての不安や恐怖が国民同士を争う悪意にならないように国民ひとりひとりにカウンセラーを無償で政府が取り組むべきです。そして海外のように日常を取り戻し人と人とが触れ合える日々をもどすべきです。こんなストレスな日々なら一層、総理に国民の皆様、安心してください。生きてる限り人は死のリスクがあります!だから毎日を後悔することなく自由に楽しく生きて下さい!と!!こわい方はずっと家にいて下さい!外出される方はすべて自己責任で自由にしてください!のほうがよっぽど気持ちが良いです!国に自由を奪われてまで生きようとは思わない!!素晴らしいお話をありがとうございます!

  • #92

    菅谷 天丸 (木曜日, 21 5月 2020 12:44)

    深く強く共感しました。

    今を大切に生きる
    未来ある子供達に
    今日の1日を
    思い切り生きてもらいたい
    人は皆いつか死にます
    健康寿命です
    ゼロリスクなどあり得ない
    ならば心豊かに生きたい
    夏の甲子園が中止になりました
    病気で亡くなった父が毎年
    楽しみにしていました
    とても残念です
    人と触れ合い生きていく事に
    幸せを感じて生きてきました
    共に笑い、感動し、共感する
    こんな素晴らしい事が出来なくなるなら何の為に生きているんだろうと思います
    涙が出ました…
    ありがとうございました。

  • #93

    しばたしげる (金曜日, 22 5月 2020 21:49)

    人は、見えないものを、恐れるものですが、中には、その、見えないものを、使い…一定のグループ或いは、それを利用とする者の、必要な分の意識を誘導しようする。単純に、ウイルスみたいに、新型コロナに関わらず、他のインフルエンザウイルスや、SARSmarsに対しても、同じ恐怖を抱きますが、だからと言って、人間は、生きる為の行為、労働、経済活動を停めて無視してって訳にはいかない。だから、それを『利用しようとする者』は、当たり前の人間の行動さえも、自分の思う権益、利益に繋がる場所へと、連れていこうする。ですから、私は、最初から、国家或いは、それを司る者、者たちが、『壮大な社会的実験』を行おうしている感じがしました。現在、その考えが、それほど、妄想的な物でなく、逆に、そっちの方がやはり近いなと改めて思っています。

  • #94

    鈴木康治 (土曜日, 23 5月 2020 17:16)

    家畜のようには生きたくないなと思います。
    私の両親は、二人とも高齢者施設で一生を終えました。
    両親共、たぶん多くの人も、若いころは『最後は延命措置は望まない』と言うのではないでしょうか。でも老人になり日々弱っていくと『もう少し生きたい』と思い出し、知らず知らず結果として家畜のような生活に陥るのではないかと思います。幸い、両親は体は弱っても精神と頭はしっかりしていたので、人として全うしてくれました。
    そういう経験から、普段から覚悟と何事も受容する心構えを持ちたいと思います。一方で森田さんが指摘するように、日本の過剰医療が家畜のような生をもたらしているという指摘も同意です。延命には人それぞれに功罪は違ってくるのでしょうが、最後の瞬間に生を手放すかのような受容をはたしてできるのか少し心配されます。

  • #95

    宮崎 祐子 (火曜日, 26 5月 2020 14:53)

    すごく納得してます。
    この騒ぎは、何か疑問に思い、私は色んなことを調べてます。

  • #96

    沢田 英二 (金曜日, 29 5月 2020 12:52)

    普段から死と向き合っている医療者ならではの貴重な記事、ありがとうございます。
    仰る通り、私たち一般人にとっては、死は遠い世界の出来事でした。インフルエンザの死者数も単なる数字であり、途上国で感染症で亡くなる方々も、ただの数字。。
    別にコロナを軽視するわけではありません。ただ、死の脅威が身近に迫った時の身勝手なパニックに、ほとほと嫌気が差していた時に、溜飲が下がる思いでした。

  • #97

    久保田和昭 (日曜日, 31 5月 2020 22:09)

    人は人と全く接触しないで生きていけるのか?私はリスク覚悟で接触したい。

  • #98

    通りすがりのもの (火曜日, 02 6月 2020 00:22)

    あなたの考え方を見て色々調べましたがそのようなお考えなら医者をやめてラーメン屋さんになられたほうが良いと思います
    私は運が悪くろくでもない医者ばかりにあたりそのせいで病気でもないものを病気にされたり無駄な薬を飲まされ子供ができにくい体にされたり
    母親ががんになった時初めに言われました80歳を過ぎているので何もできません笑いながらもう平均寿命まで生きてますから見たいなことを言われましたそう思っているなら病院には来ません80歳過ぎていきたいと思うことはいけないことなのですかあなたはそういういじゃだと思います
    患者の為にもおやめになったらいいと思います
    コロナのことについても騒ぎすぎなら今ブラジルはどうなってます日本は緊急事態制限をなぜ出したのか
    それはあなた方医者を守るためにもやっていることをお忘れですか
    私の子供は可哀そうに高校3年生で6月までずっと学校にも行けず我慢しているのは何のためだと思っているんですか
    確かに母(違う病院で手術をし今は介護にならず生きています)がいるので移さないようにというのもありますが
    直接政治家に言えばいいじゃないですか
    コロナが怖いのは周りの人に多大な迷惑をかけてしまう私がかかれば確実に母親を殺してしまいます
    それ以外にもコロナにかかるとやっと始まった学校さえ休校2週間子供の同級生がコロナにかかりましたが1か月近く入院
    主人は感染拡大地域で働いていていました手洗いうがいをしつこく言って毎日喧嘩ですで結局別居疲れて帰ってきて
    手を洗え母親に移したら一生恨むと喧嘩です一緒に手術した母親と同居しているから仕方ないのですが
    そんな主人でもコロナにかかると会社の工場ラインが止められます
    すると派遣社員なのでもちろん首です
    これは法律の縛りでどうしようもない移されたでは済まない
    正直これを何とかしてほしいかなり感染力が強いのかどこまでの濃厚接触で移るのか移すのかわかりません
    インフルエンザと違うのは感染力と症状なしでも人に移すだから防ぎようがない
    早く正常に戻るのはワクチン治療薬しかないのでしょう
    医者であるあなたがそのように思うならラーメン屋さんになってください

  • #99

    洸哉 (水曜日, 03 6月 2020 23:57)

    新型コロナぐらいでガタガタいうな
    亡くなる方もいれば、治ってる人もいる

    こんなの、難病といわれ未だに治療法も分からぬまま生きてる人、亡くなる人もいる

    それにくらべたら、屁でもないよ

  • #100

    元介護職 (日曜日, 14 6月 2020 23:35)

    「実名」ルール守れずごめんなさい。

    記事内容、とても共感しました。

    個人的には、いわゆる尊厳死の議論について、「当事者への圧力や、すでに医療的ケアを受けている人への偏見につながる」という理由で慎重派です。

    しかし、元介護職としても、そして、身内の高齢者を看取った経験からも、「健康と安全」(特に感染症と転倒の予防)名目でガチガチに管理する動きには、強い抵抗感を抱いてきました。

    不思議なことに、そういう管理を「本人のため」と正当化する人に限って「死なせる方向で”同意”とる時だけ自己決定とか尊厳とか言い出す」偏見を抱いていました。
    実際そういう人を介護畑でかなり見てきました。はっきり言って、「責任逃れ」に終始しているように見えました。

    自分自身もいつの間にか「看守」みたいになっていくのが、すごく嫌でした。

    ですので、この記事を拝読して、「本気で高齢者の尊厳と幸福を考えてくれている、こんな先生も終末期医療の現場にいてくださっているんだ」と嬉しく思いました。

    大変失礼ながら、ただ一点だけ、気になる点がありました。

    「世間や医療のゼロリスク神話はいともたやすく高齢者の生活を奪ってしまう」と、一般人と「医療」が同列に扱われているところです。

    家族は「そこまでしなくても」「自由や尊厳を優先してあげて」と思っても、口に出せる状況ではありません。
    言ったところで「素人が何をいう!転倒や感染症のリスクを知らないからだろう!」「文句があるなら自分でみろ!」と突っぱねられるのがオチです。

    身内にひどい褥瘡が出来ているのを見つけて、クッションやエアマットで軽減できないか、と施設の人に相談したとき、露骨に嫌な顔をされました。
    同じ人たちが「転倒予防のため」と車椅子を強制し(時には車椅子移乗の介助すら渋り)、「感染予防のため」と外出を厳しく制限し、「健康のため」と好物を取り上げ、二言目には「医師の指示ですから」。

    「自分でみる」ことが可能な状況ではなかったので、代わりにケアをしてくださったことへの感謝はしつつも、違和感を禁じえませんでした。

    まして本人は……自分のケア会議にすら参加させてもらえないことがほとんどです。

    「介護の主体は本人」「介護職や生活相談員は生活のプロであり、医療とは違う。それぞれの専門性を尊重して連携しよう」と言われても、実際には「医師>看護師>介護士>家族>本人」というヒエラルキーがあり、「上」には逆らえない、と、介護職としても家族としても感じてきました。

    生意気なことを書いてしまいすみません。

    今も終末期医療の現場で専門家として、当事者の思いに寄り添いながらご活躍されている先生に、感謝と敬意を表します。

  • #101

    宮治哲也 学生 (木曜日, 18 6月 2020 00:37)

    あなたの言ってる事は、
    真理をついています。
    正しいと思います。

    しかし、同時になんて無意味なことをしているんだ。とも感じました。

    だって、コロナやばいやばい!って民衆を煽って、煽動した方が、("神の声"、とでも言いましょうか。一部の人たちが)儲かるじゃないですか。
    アクセス集まるし、株価変動でインサイダーできるし、etc..

    "神"にとって、騒ぎになった方が都合がいいんですよ。

    あなたがいくら正しいかろうと、金持ちには勝てませんよ。

    …みんなが、この記事を書いた
    あなたくらい徳のある人だったらいいのにな。

  • #102

    鶴岡優子 歯科衛生士 (火曜日, 30 6月 2020 08:18)

    仕事柄、コロナの始まりの頃は恐怖を感じていました。しかし、死亡者の年齢などデータを見ると大したことない。自分の考えと世間とのギャップがストレスになっています。先生や、同じような発信をされてる方の情報を見たり聞いたりするとホッとしますが、家族も周りも世の中はマスク人間だらけ。こんな世の中が恐ろしくてなりません。
    人間の致死率100%。最期まで人間らしくいたいなー。

  • #103

    岡雅俊 (土曜日, 04 7月 2020 17:50)

    藤井聡先生が紹介されていたので拝見しました。過去記事もこれから読ませていただきます。

  • #104

    千葉市 銀行勤務 (土曜日, 04 7月 2020 22:30)

    いつまで生きられるかとか、いつ死ぬかは自分では分からない。だから不安になる。マタイ24章に多くの人たちの愛は冷たくなると書いてあった。コロナの影響で人との交わりが出来なくて、悲しいけど
    希望を持って皆さんと乗り越えて行きたい。

  • #105

    佐脇俊雄 (金曜日, 24 7月 2020 08:51)

    私も素人ながらコロナに関するいろんな数字を見ていますが、日本人は大丈夫的な楽観的な予想は立てられません。やはりコロナは完全に放置すれば10万人程度は亡くなっても不思議じゃない病気だと思います。しかし、裏を返せば1億3千万人のうちたった10万ということは0.08%。仮に42万人死亡だとしても0.3%にすぎない。去年1年間で137万人の人が亡くなっている。命を数で語るなと言われるかもしれないけれど、何故コロナで死ぬという事に対してだけここまで過敏になるのか。うつる病気だから防ごうと思えば防げるというのはあるでしょう。しかしそのために、人々は自由を奪われ、職を奪われ、趣味も大きく制限され、まともな社会生活が出来ず、経済は大不況への道を進んでいる。最もリスクが高い高齢者は、コロナで死ぬのを防ぐために閉じ込められたせいで認知症やフレイルを悪化させたりしている。小樽の昼カラクラスターで、あるご老人が「私たちの楽しみを奪わないで」といった気持ちが私には分かる。一体何のために私たちは生きているのか。例えば戦前の日本では結核で20万人近く死者が出た年もあるが、決して街をロックダウンしようとしたりはしなかった。現在でも、アフリカでは普段からコロナより怖い感染症が蔓延し死者も出ているが、人々は普通に生活している。もちろんそれはそうせざるを得ないというのもある。でも医療が発達した現代の先進国が感染症での死を避けたいあまりに自縄自縛状態に陥っているのは果たして「良い生き方」なのか。もちろん医療行為は文明の進歩だし、感染対策も大事だがそれはあくまで持続可能な負担の少ないやり方にとどめるべきではないのか。その考えは甘いのか、ただの老人は死んでも構わないという優生思想なのか。いやそうではないはずだ・・・
    ずっとそんなところを堂々巡りしています。

  • #106

    馬場 茂 (水曜日, 05 8月 2020 23:15)

    こんばんは。
    あなたの言われることに対して、共感する気持ちと共感しない気持ちの両方があります。
    あなたが経験してきた苦痛を知らない人は、沢山おられると思います。
    また沢山の人が経験してきた苦痛を、あなたが経験していないのも事実であると思います。
    何にでも表と裏があるように、コロナにも裏はあると私も考えます。


  • #107

    家畜?雑魚は家畜になるしか無いわなw (木曜日, 06 8月 2020 07:45)

    生きたい奴は好きなだけ生きれば良い。
    死にたい奴はさっさと死ねば良い。
    アンタの言う様に、まず間違いなく人は死ぬんだから
    生きてる時間を自分で使えば良い。
    ただそれだけだ。
    医療者は全力で医療する、
    医療を受けるなら、全力で生きる。
    こんな単純な事が出来ないカス共に惑わされんな

  • #108

    水谷寿志 東京都 飲食業 (金曜日, 07 8月 2020 09:53)

    医療の方の率直なご意見、ぼくも賛同です。
    人は必ずしぬ。これは変わらぬ真理。
    だから、精一杯、全力で生きれば良い。
    それだけ。
    医師も、
    サラリーマンも、
    僧侶も、
    悪人も、
    王様も、
    生きたいなら、全力で生きればいい。
    でもいつかは死ぬし。
    いつなぜ、死ぬか誰もわからないから。
    色んな死因があるし、そんなん誰もコントロールなんて出来ないんです。
    なので、コロナもひとつのありふれた病気。
    人間が人間らしく楽しめない世の中になってしまうことは、家畜になることと等しいと思います。

    煽ることで人びとの判断能力を奪うことは、まさに家畜に導くことに他なりません。

    人間ならば自分で考えて、判断して、人間らしく生きて欲しい。

    シェアさせて下さい。

  • #109

    富久田晃一 (木曜日, 13 8月 2020 15:15)

    もう毎日毎日毎日テレビのワイドショーが煽り過ぎマイナスマインドばかりのこの世の中に嫌気がしてます‼️ コロナは大したことない的な事を言わせないこの風潮、なんでもかんでも自粛中止。こんな世の中いつまでつづけるの!?
    諸悪の根源はコロナよりテレビ局ワイドショーだと思ってます。どうかこのマイナスマインドを少しでも変えていくように今後とも負けずに頑張って下さい!!お願い致します‼️

  • #110

    みい (水曜日, 02 9月 2020 22:42)

    はじめまして。

    共感させていただきました。

    どうも世間は死ぬのが悪いことだと考える方が多い気がします。

    私は、発達しすぎた医療に疑問を持っています。

    お年寄りがせっせと病院に足を運び薬をもらい必死に生にしがみついているようにみえます。
     主観の嵐を今から発言します。

    体感温度が40°ほどにもなろうかという日にマスクをつけてしかも屋外で。うつしたくない思いだけなら頷けますがコロナになりたくないという思いなら、軽蔑します。

    死ぬくらい暑さをがまんしてまでそんなに死にたくないか、と。

    話が逸れましたが、医療の過剰な発達=無意味な長生き、だと思います。
    人間を作ったものへのぼうとくに思います。
    仰るように人は必ず死ぬのです。
    それに抵抗しすぎるのはどうかと思うわけです。

    医療の発達は素晴らしいとは思いません。
    医療の発達を称賛するものを見たりすると、この人たちって人間を不死身にしたいのかなとさえ思えて、滑稽です。

    コロナだけじゃなく、他のいろんな病気でも急変し、しぬことはありますよね、普通の風邪でもこじらせる時肺炎になり死ぬことも。
    もう未知ではないはず、そろそろ普通の風邪扱いにしてほしい。

    経験上、インフルエンザAの方が恐ろしすぎる。
    ワクチンあるのになぜこれだけ感染者や死者が出るのか、今コロナコロナと騒いでる人に説明してもらいたい!