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仕事に疲れている医師たちへ。その疲労があなたのせいではない本当の理由(医学史的・医療経済学的な構造分析)


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はじめに

 

 


経済学部卒→医師になった立場から、日本の医師の疲労が、医師個人のせいではなく大きな構造的問題に根付いていることについて、医学史的・医療経済学的に構造分析をしてみました。
医療業界の各利益団体の利害にも関係することなので、あまり語られない内容だと思います。
少し長いですが、是非最後までお読みいみただけたら幸いです。

医学史的背景

 

 

 

まず簡単に、医学史的な視点を大まかにまとめてみたいと思います。


かなり昔の話で恐縮なのですが、そもそも江戸時代以前は「医師の資格」さえ国の介入はなく、ほぼ全て自由だったようです。

 

つまり、現在の大学の医学部教育や医師国家試験のようなものはなく、
医師(当時はほぼ全て漢方医)に弟子入りし修行して、そこで師匠から許しが出ればOK(何がOKなのかも流派によって曖昧?)という世界。

でもそれは、今と比べたらやれる医療も格段に少なく、実は江戸時代の市民は現在ほど医療に期待していなかった、ということの表れでもあるような気もします。


そこから明治になり時代が変わります。

医師の殆どは漢方医から西洋医学の医師に置き換わり、医師国家試験によって医師の質が担保(標準化?)されるようになり、同時に医学は質的に急成長します。

 

グラフで分かるように、左半分の時期、つまり明治・大正・昭和初期までは、死因の上位は結核・肺炎・胃腸炎(腸チフス・赤痢など)
の3つが大半を占めています。

 

 

厚生労働省:心疾患ー脳血管疾患死亡統計の概況 人口動態統計特殊報告https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/sinno05/2.html


つまり当時、多くの日本人は感染症によって命を落としていたわけです。


この状況を一変させたのが『抗生剤』です。
抗生剤によって医学は感染症をほぼほぼ克服します。
結核は不治の病ではなくなり、胃腸炎で命を落とす人は殆ど居なくなりました。

もちろんこれには抗生剤だけでなく、ワクチンの普及や清潔な衛生環境の整備も大きく影響しています。

さらに医学は『外科手術』という技術も手に入れます。
病巣を切り取ることによって多くの病気を治すことが可能になったわけです。

僕も20代のころ虫垂炎(いわゆる盲腸)で七転八倒していたところを救急病院での緊急手術で救ってもらったことがありますが、この盲腸の手術だって江戸時代はなかったわけです…

昔は盲腸ですら不治の病。
命を落としていた方だってかなりおられたはずです。
今の日本では「盲腸で死ぬ」なんてまず無いわけですから隔世の感がありますよね。

これら『現代医学の大躍進』によって「医師を筆頭とする医療業界」は国民から絶大な信頼を得ることになります。

この絶大な信頼を元に『病院の世紀』が形成されていくことになるわけです。

(このあたりのことは『病院の世紀の理論』(猪飼周平著)有斐閣 2010、に詳しく書かれています)


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「病院の世紀」では、「医療」が日本人の誰もが唯一異を唱えられない「宗教」になったとまで言う人もいます。

医療が宗教なら、病院は教会・寺院なのでしょうか。
医師は神父・僧侶なのでしょうか。
医学は神なったのでしょうか。


たしかに、この時代に医療は高度に進歩し、多くの病を克服してきました。

しかし一方でこの時代は、医療があまりに専門的に進歩しすぎたため人々は自分の体の状況判断について専門家である「医師」にお任せすることが当たり前になった時代でもあります。

そうした状況は、病院と国民の関係性を大きく変えていきます。
それまでは殆どの日本人が畳の上で家族に看取られて亡くなっていたのですが、1970年代を境に病院死が在宅死をうわまわり、ついには殆どの日本人が病院で治療の末に死を迎えるという時代に突入します。

まさに病院の世紀ですね。

 

平成24年版 高齢社会白書(概要版) 第1章 第2節 3 高齢者の健康・福祉 図1−2−19(2)

http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2012/gaiyou/s1_2_3.html

 

 

 

この流れの中で、「病院の世紀」は次第に矛盾を抱え始めます。
なぜなら、これだけ絶大な信頼を得た医療も、実はその得意分野である「感染症」を克服することで、逆に自らの活躍の場が限定されてしまうことになったからです。

日本人の死因上位から「感染症」が大きく後退したあと、そこにあるのは、

「ガン」
「脳卒中」
「心疾患」
「(加齢に伴う)肺炎」

などの、

「完全には治らない病気」
「長く付き合っていく病気」
「加齢に伴って自然に増えてしまう病気」

です。

しかも患者の大半は高齢者。
複数の疾患を抱えた方々です。
現在の高齢者は、1週間の抗生剤投与や外科手術でピシャっと治るとはいい難い「慢性疾患」を一つ一つ獲得しながら歳を重ね、長い療養の後にやがて死を迎えるのです。

実は、この段階ではこれまでのような「治す」医療はあまり出番がないんですね。
少なくとも「感染症」の克服で大活躍したあの黄金時代のようには…。

これが「病院の世紀」が転換点を迎える最も大きな要因でしょう。

そして、さらに言えば、「治す」医療の出番があまりない高齢者が増える日本のような「高齢化社会」では、「医療の需要は減る」ということだって、本来であればあっていいはずなのです。(もちろんそこには市民意識の醸成・家庭医の養成など、複合的な課題が山積ですが。…でも僕がいた夕張では医療費も減り、救急出動も半減しましたので、できないことではないと思います。)

でも、それは夢のまた夢。

本来喜ぶべきことである「医療の需要が減る」ことに対し、競争市場の中にいる医療従事者は、市場原理のなかで呼吸をしているがゆえに、大きな抵抗感をもたざるを得ません。

もしあなたがいま、「医療の需要が減る」と言う本来喜ばしい言葉を聞いて何かしらの抵抗感を持ったのなら、それ自体がすでに「市場原理の理論」に取り込まれてしまっていることの証左であるかもしれません。

では次に、「どうしてそうなるのか?」についての医療経済的な背景を見ていきましょう。

 

 

医療経済的背景

 

『現代医学の大躍進』を達成した「病院の世紀」の時代、特に戦後〜高度経済成長の時代には、その「医療への絶大な信頼」を背景として日本中に病院が建築されます。

さらに、国民皆保険が整備され、国民は治療費のことをあまり考えずにどこでも医療にかかれるようになります。

たしかに、貧富の差なく誰でも医療を受けられるようになった国民皆健康保険制度は「国民に大きな利益をもたらした一大事業」として高く評価されるべきでしょう。


しかし、一方で日本の医療費は膨張を続けていきます。
図のように、実額ベースでも対国民所得比でもかなりの伸び率を示しています。

 

 

平成16年度国民医療費の概況結果の概要 1国民医療費の状況 図1

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/04/kekka1.html

 

いくらなんでもこれでは国の財政がもたない。
ということで、いまから40年ほど前の1980年代に「医療費亡国論」が唱えられ、そのあたりから「医療費上昇の要因」として、


「医師数」
「診療報酬」

問題視されるようになります。


結果として医師数も診療報酬も、国家政策によって制限されるようになりました。

 

 

■日本と世界の人口あたり医師数、国際比較

人口千人あたり医師数の国際比較(Health resources - Doctors - OECD Data)

https://data.oecd.org/healthres/doctors.htm

 

 

 

■物価水準と比較した「診療報酬改定率」

診療報酬改定率と給与指数・物価指数の比較(全国保険医団体連合会HPより)

http://hodanren.doc-net.or.jp/kenkou/08kaitei-youkyuu/P06-P13.pdf

 

 

 

 

 

 

しかし実は、医師数・診療報酬にもまして問題視されたものがあります。

 

それが「病床数」です。

 

敗戦後の日本では、荒廃した国土に医療機関を急速に整備することが医療の課題でした。その大きな部分を担ったのが、迅速な意思決定とスピード感をもった「民間病院」です。

 

 

1970年代の老人医療費無料化のあと押しもあり、結果として1980〜1990年代には日本の病床数は世界でもダントツトップに達し、同時に医療の提供量と医療費も急増することとなります。

 

 

 

そう、実は「病床」が増えると医療費も増えるのです。

これは日本国内で見ても明らかに分かります。

それがこちら。

 

 

 出展:財政制度等審議会 財政制度分科会 議事要旨等 平成30年10月30日 資料2

https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia301030/02.pdf 



なるほど、ここまで顕著に現れるなら、国が病床数を問題視するのも無理のない話ですね。

 

 

…もちろん、近年は「病床規制」が行われていまして、その最初が1985年に決まった病床数の上限規制(第1次医療法改正)なのですが…これは皮肉にも、

「規制が実行される前にどんどん建ててしまおう」

という『駆け込み増床』を誘発してしまい…
結果、現在まで続く『異次元のレベルの日本の病床数の多さ』
の基本骨格がこの時までに形成されるわけですね

 

(当時から見ると日本全体の病床数は微減していますが、まあ、正直なところほぼ横ばいです。日本の病床数チャンピオンの座は今後も揺るぎないでしょう。)

 

 

 

 

薄利多売の世界観

 

たしかに、国の立場からすると

「医療費が高騰するので医療費を抑える」

は正論ですが、
銀行から多額の借金をして病院を建て、借金を返しながらギリギリの経営をしている民間病院の立場から考えるとそれは容認しかねる話です。
とはいえ、それでも医療費は抑えられる…
では病院はどうしたらいい?

いまのところ、国は各病院に「病床を減らせ!」とは言えません(地域医療構想などで都道府県に圧力をかけることはしています)。

現在の国の医療費の調整手段の切り札は「診療報酬改定」です。

診療報酬(≒診療一回に対する収益)が低く抑えられる…。

となると、病院側が収益を維持するためには患者を今より多く集めて診療回数を稼ぐしかありません。

商売の世界で言う、いわゆる「薄利多売」の方法論ですね。
医療業界は業界全体でその方向に舵を切らざるを得なくなったわけです。

その結果、各病院が「集患」と言う名目で患者集めに奔走するようになります。

「質のいい医療を提供して多くの患者さんに選ばれる病院になろう」

は表の顔、

その裏には

◯元気で安定した高血圧・糖尿病などの患者も毎月受診で受診回数を稼ぐ…
(先進諸国では地域の家庭医の処方は基本3~6ヶ月毎、さらに毎回同じ薬なら薬局に行くだけで購入することもできます=リフィル処方)

◯精神病院では10年以上の『長期入院』も容認…また新たに今後増える高齢者の『認知症患者』を精神病院で引き受けよう…
(日本の精神科病床の多さは異次元レベルに突出した世界一。先進国ではそもそも精神病院の入院がほぼゼロの国もある)

高齢者住宅・高齢者施設を建てて高齢者を集め、月2回の『在宅医療』を受けてもらおう…、入院予備軍としての高齢者を確保しよう…
(空いた病床を埋める手段としての高齢者住宅・施設の併設、連携運営は、銀行や経営コンサルタントの常套手段です。

 


そんな裏の顔も多く見受けます。

大学や急性期病院におられる若い先生にはあまり馴染みがないかもしれませんが、下のグラフのとおり、日本の病床の多くの部分は実は「療養病床」「精神科病床」などの慢性期医療が占めているのです。ちなみに、一般病床の全てが急性期医療かと言えば決してそうではなく、その中にも多くの慢性期医療が含まれています。

 

 

もちろん、いまどきCT・MRIも無いと患者も集まりませんので、各病院にCT/MRIが配備されます。


こうした「集患」が、日本中で習慣化し、空気のように違和感なく行われるようになって数十年、知らない間に日本は


病床数世界一(米英の4倍)
外来受診数世界2位(北欧諸国の3~4倍)
CT・MRIも保有台数も世界一(英国の7倍)
……(実際の患者がこんなに何倍もいるわけないのに)


こうして現在の


国際的に見て異次元レベルの薄利多売の世界


が形成されていった。

というのが本当のところなのではないでしょうか。

 



しかし、世界一の病床数(主として慢性期医療の病床)の日本で、全ての病院が「集患」して満床を目指せば…そりゃ国の医療費も上がります。
その対策として国は診療報酬をより低く設定せざるを得ないでしょう。

さらに言えば、どの病院も満床を目指しているのでいざ急患が発生してもどの病院も満床で受け入れられず…救急車がたらい回しにされるような現状もあります。

世界一の病床を持っているのにも関わらず「いざ」という時に医療が機能しない。

これらは、まさに『薄利多売』の世界観と『医療市場の失敗』を象徴するものなのかもしれません。 


ただ、この「薄利多売」の世界観、日本の医療業界では本当にごくごく当たり前の「空気」のようなものなので、おそらく殆どの現場の医療従事者には自覚されていないでしょうけど…。

でも、海外の医療から見ると、

「日本の医師が1日100人の外来患者を捌き、何十人もの入院患者を診て、救急当直の翌日に外科手術を行っている現実」

これこそがまさに異常なのです。

■日本の病床数は世界一
 ↓↓

(2015 OECD staticsより)https://data.oecd.org/healtheqt/hospital-beds.htm

 

 

■日本の外来受診数は世界2位
  ↓↓

(2015 OECD staticsより)https://data.oecd.org/healthcare/doctors-consultations.htm

 

 

■日本のMRI保有台数は世界1位
  ↓↓

(2015 OECD staticsより)https://data.oecd.org/healtheqt/magnetic-resonance-imaging-mri-units.htm#indicator-chart

 

 

病床に関して言えば、先進各国が子の50年で病床を大幅に減らしているのに、日本だけ(あ、中国・韓国も)病床を増やしてきたことが、このバブルチャートを見るとよくわかります。【横軸が病床数】

 

医療は誰のため?

 

 


以上を簡単に整理しますと、

 

感染症を克服したりして医療が絶大な信頼を得るようになって、結果として病院がいっぱい出来た。
  ↓
その一方で医療費が爆発的に上昇したので国は医療費抑制に乗りだした。
  ↓
その結果、

◯一回あたりの診療報酬が抑えられ、その反動として外来受診数・CT・MRIなどの医療提供回数はきっちり増えていき、結果として「薄利多売」の世界観が形成された。

◯病床数は制限が遅れて、世界最大の病床が出来てしまった。

◯その割に医師数もきっちり制限されたので医師不足(←いまここ)

 

問題の根は深いですね。
単純に「医師を増やす」とか「診療報酬を上げる」とかの単一の手段で解決できる問題ではなさそうです。


つまり、


「病院がいっぱいあっても競争に負けたところが淘汰されていく」

とか

「医療も市場に任せていれば適正な医療提供量に落ち着く」

 

とかいう、みんながなんとなく抱いている幻想は、まさしく「幻想」だということです。(上記の日本国内各都道府県の病床数と入院医療費のグラフを見ればそれがよくわかります。)
 

こんなに莫大な需要・供給を生み出さざるを得ない市場原理システムの中で、しかも国際的には少ない医師数で、その中で

医師が仕事に疲れてしまう

 

のは、ある意味当然というか、必然というか、もう医師個人の課題ではなく、国全体の課題と言わざるを得ません。 

もしかしたら、もう医療の提供を市場的・金銭的な動機を元に管理するシステムは機能不全に陥っているのかもしれません。(そもそも、日米以外の先進各国の医療は殆どが警察・消防と同じ「公的」存在で、市場的な動機で管理されていませんし。)

 


だからこそ、WHOも先進各国も、医療の提供を市場原理に委ねることを良しとせず、真の公的存在としての「総合診療医(GP)・家庭医」の重要性を強調しているのだし、日本の経済学の重鎮・宇沢弘文先生も「社会的共通資本としての医療」を提唱されているのです。

 


だって、国民が本当に求めているのは、

本当にその人に必要な、過剰でも不足でもない医療

なのですから。

それを判断できるのは、利害関係から独立した真に公的な立場の 「医師」であって、決して市場的・金銭的な動機に誘導された医師ではないのですから。


日本の医療システムもそろそろ、診療報酬改定とか地域医療構想なんていう「対症療法」ではなく「根治療法」を期待したいところですね。

 

以上、

「仕事に疲れている医師たちへ。その疲労があなたのせいではない本当の理由(医学史的・医療経済学的な構造分析)」

でした。

 

でも・・この僕の考え方、
今の世の中ではまだちょっと突飛かもしれませんね(^_^;)

皆さんはどう思われるでしょうか。

 

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