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医療・介護はなぜ「刑務所ビジネス」に堕ちてしまうのか?

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医療・介護はなぜ「刑務所ビジネス」に堕ちてしまうのか?

森田 洋之

こんにちは森田です。

 

先日、こんな記事を読みました。

 

 

 

日本の介護が「刑務所ビジネス」で破壊される日――内田樹×堤未果

 https://bunshun.jp/articles/-/12800?page=7

 

 

「刑務所ビジネス」?なんか物騒なお話ですが、一体これ何かと申しますと、簡単に言うとこんなところでしょうか。

 

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米国では刑務所に収監される囚人が1970年代の30万だったのが、今は囚人が200万人にまで増加した。囚人増加の理由の一つとしてあげられるのが1980年代に進んだ「刑務所の民営化」。刑務所があると壁の外は治安が良くなるので、「刑務所作ります」と公約に掲げると政治家も当選しやすい。しかも、原資が税金で取りっぱぐれがない民営刑務所は優良なビジネス商品。で、刑務所はどんどん増える。でも民営の刑務所は囚人がいないと利益が出ない。そこで民営刑務所と政治家は、3回警察に捕まると3回目がたとえ駐車の違反切符でもスリーストライクアウトで終身刑にするなど、刑を厳罰化して囚人を確保する。今は定員の2倍の囚人を収監しているところもある。

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…この話、上記記事からの抜粋なので、本当なのかどうか僕は知りません。

 

 

 

でも、一つ言えるのは

 

「日本の医療・介護業界ではこれが起こりつつある」

 

 ということです。

 

 

 

 

 

 

日本の医療・介護も民営が多い。

 

 

 

 

 

 日本にいるとあまりわかりにくいところかもしれませんが、実は殆どの先進国(特にヨーロッパや北欧)では、医療・介護といえば「公的」な機関がほとんどです。

 

 なぜ、医療・介護の世界では「公」であることが世界標準なのか。それは、医療や介護の世界を民間の自由市場に開放し、民間同士の自由競争にまかせてしまうと必ず「市場の失敗」をもたらすことがわかっているからです。なぜ医療・介護の市場化は失敗するのか?その理由は

 

1,「情報の非対称性」

患者側は医療・介護の専門家ではなく、しかも、診察室内で医師は絶対の権力者であることが多いです。なので、医療・介護の提供量・需要量を決めるのは専門家である医療・介護提供側になりがちです。ということは、医療・介護は「売りたい放題」といっても過言ではない(特に医療は上限がないので顕著)。しかも患者が多いほど儲かるシステムですから、なかなか「患者を減らす」という意識にはなりにくいのが現実です。事実、今はどの病院も大きな声で「集患」と言う言葉を使っています。これでは医療介護の提供量は増えるばかりで決して「適正量」には収束しないでしょう。

 

 

2,「モラルハザード」


健康保険で医療費の大部分が賄われるので、患者側のコスト意識は欠落しがち。つまり、医療・介護の値段が高くても「どうせ払うのはその1割だから〜」と、医療・介護をたくさん受けることに対するに経済的な抵抗がなくなってしまう…

「医療を受ける側のコスト意識」と言うブレーキも効かないということですから、これまた医療介護の提供量は増えるばかりで決して「適正量」には収束しないでしょう。

 

 

 

というところです。

 

 

 

民間に開放したら「市場の失敗」になる事がわかっている。

 

ということをご理解いただけた前提でこちらの記事をお読みいただくと、その闇が浮き彫りになってくると思います。

 

 

 

 

「瀕死の医療機関」を救う新しい稼ぎ方

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65941?page=5 

 

この記事には簡単に言うとこういうことが書いてあります。

 

 

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ある100床の病院は、病床が80%しか埋まらず赤字が続いていた。病床利用率を上げる施策として、近隣の介護施設を買収し、デイケアも開始。「いまはまだ病院を利用する必要がないけれども今後患者となりうる高齢者」にデイケアを利用してもらえるよう積極的にマーケティング・営業活動を実施。結果的に病院への集患に繋がり、2年間でベッドの利用率を80%から98%に上げることに成功した。


という病院経営コンサルタントさんからの報告記事

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この記事だけ見ると「病院も施設も、患者確保・売上アップに大変なんですね(^_^;)」

 

というところで終わりになってしまいそうですが、先程の「刑務所ビジネス」の記事とあわせて考えると、

 

 

○記事の刑務所も日本の病院も「民営」

○どちらも「収監・集患」に躍起

○政治家にとってはどちらも集票につながる

 

 

など共通点がいろいろあってゾッとしますね。

 

 

 

 

 

まあ、こんなこと言ってると…

 

「いやいや、日本ではまだまだ病人の数に比して病床は足りていないんだから、病院は増やすべきだし、営業も頑張ってもらわないと!」とか、

 

 

「病院は市民のために頑張ってくれてるんだから、そんなに悪く言うな!」

 

 

なんて怒られそうです。

ていうか、いつも怒られてます(^_^;)

 

 

 

でも、実はすでに日本は世界でもダントツトップの病床(人口あたり)を持っているんですね。病院や病床が足りない、と思っているのは日本人の思い込みで、世界から見れば「異常な病床の多さ」なのです。

 

 

それが分かるのが僕の自作のバブルチャート。

 


過去50年の世界各国の病床数(横軸)と平均寿命(縦軸)と医療費(GDP比、バブルの大きさ)を動画にしています。

 

 

 

 

 

 

 

世界の先進各国が左に左に行っている、つまり病床を減らしに減らしているのに、日本だけ(あ、韓国と中国も)はどんどん右に右に、つまり病床を増やしに増やしていることがよくわかります。

その結果、日本は世界最大の病院・病床を持つことになりました。米・英の5倍の病床数…そんなに病人がいるわけないのに。まさにガラパゴス状態ですね。

 

 

 

ちなみに、この世界最多の病床を持つ日本の中でも、さらに地域差がありまして、その地域差は最大3倍!

 

同じような地方都市で比較しても、高知県・鹿児島県は岐阜県・滋賀県の2倍の病床を持っているのです。(そして、病床が多い県の県民ほど一人あたりの入院医療費を2倍も多く使う!という…とほほなデータになっております)

 

 

 

 

 出展:財政制度等審議会 財政制度分科会 議事要旨等 平成30年10月30日 資料2

https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia301030/02.pdf 

 

 

 

病院・病床が、こんなに多いなら、過当競争で潰れる病院がでてくるだろう、という予想は残念ながら今のシステムでは期待薄です。

 

 

上述の「情報の非対称性」があるため、医療の世界では「患者側」に購入に際しての決定権が殆どありません。「売りたい放題」の世界で「淘汰」は起こりません。世界一の異常な病床数の日本、その中でもダントツの病床数の高知県・鹿児島県。その高知・鹿児島でも病院は潰れません。なぜならその分患者が増えいるから(県民一人あたりの入院費が2倍ということはそういうことですね)。

 

 

そんな状況下で、上記記事のように銀行や経営コンサルタントが、さらに「赤字の医療機関は病床を埋めろ!患者をどんどん増やせ!」と厳しい圧力で言ってくるわけで・・・病院も大変ですよね(^_^;)。

 

 

 

 

ま、こんなふうに高齢者の獲得競争が激化していって、それで高齢者がみんな幸福になっているのならまだ全然いいのですが…

 


病院や介護施設での高齢者を日々診療している身からすると、決してそうも思えない現実があります。

 

 

こちらは病院の風景。

 

 

 

 

 

これは病院だけの風景でありません。

 

上記記事にあるように、病院が「入院予備軍」として待機・確保しているデイケアや介護施設でもこんな風景がよく見られます。

 

 

 

 

 

 

 

当然ですが、殆どの介護施設の玄関には鍵がかかっていて自由に外出はできません。もちろん病院に入院中は勝手に外出はできません。

 

「刑務所というのは食事も医療も睡眠も確保されている、唯一奪われるのが『移動の自由』だ」

 

と聞いたことがありますが、そう考えると、病院も施設も、そこにいる高齢者にとっては「刑務所」と同じようなものかもしれません。

 

 

この写真のおじいちゃん、

 

 

 「騙されてここに連れてこられたんです。花見に連れてってやると言うから息子の車に乗ったら、着いたのがこの施設。先生、お願いだから家に帰してください。お願いです。」

 

 

と、診療のたびに両手を合わせて拝み倒されます。足腰も達者なので、何度も脱走まがいの騒動を繰り返されていました。

 

 

元気な頃には「最期まで自宅で自由に生活したい」と多くの人が願っているのに、いざと言う時になると多くの人が病院や施設に「収容」されてしまうのは、なぜなのでしょう?

 

 

 

 

こうして、医療全体のシステムと、現場の患者さんの声を総合して考えてみると、

 

 

「医療・介護がなぜ刑務所ビジネスに堕ちてしまうのか」

 

の理由が何となく見えてくるのではないでしょうか。

 

 

 

 

そう、医療というものは警察や消防と同じく、本来、市場的・金銭的な理由によってその提供量が左右されるべきものではなく、必要な人に必要なだけ『過不足なく』提供されるべきものです。その適正量が分かる唯一の職種が医師(形式上は)なのです。

 

特にこれからの高齢化社会では、治らないけどすぐに命に関わるわけではない慢性疾患を複数抱えながら終末を迎える高齢者が大半をしめます。

 

病気といえば病気で、でもそれなりに生活は出来る、と言う人に対し、市場的・金銭的理由で医療の提供量を決めるなら、おそらく医療提供量はこれからも青天井に増えてしまうでしょう。

 

 

僕は、医療の提供を市場的・金銭的な動機を元に管理するシステムはもう、機能不全に陥っていると思っています。(そもそも、日米以外の先進各国の医療は殆どが警察・消防と同じ「公的」存在で、市場的な動機で管理されていませんし。)

 

 

世界各国どの国の国民も、多くは「最期まで自宅で自由に生活したい」と願っていて、だからこそ医療が市場的・金銭的な動機を元に提供されていないオランダの国民は病院で最期を迎える人3割しかいない。一方、日本人は未だに8割弱が病院で最期を迎えています。

 

 そこには(あってはならないことだとは思いますが)医療提供側の市場的・金銭的な背景が見え隠れするような気がします。

 

 

 

 

 もういっそ、ヨーロッパ諸国のように、医療を無料にしてしまって、医療の適正な提供量を知る「医師(家庭医)」と、自分の生活や人生にとって何が大事なのかを知る「患者」、その双方の信頼関係の上で、しっかりと医療の適正量を決めるというやり方のほうが、ちょっと面倒くさいけどかえって医療費を削れるのかもしれません。(もちろん患者満足度は上がるでしょう)

 

 

 

 ま、日本ではその「家庭医」の数が全然足りてないので、こちらも今のところ現実的ではないのですけど。。。

 

 

 

でも・・この僕の考え方、

今の世の中ではちょっと突飛かもしれませんね(^_^;)

 

 

でも、じゃあ、どうしたらいいのでしょうか。

現状のままでいいのかな?

 

 

皆さんはどう思われるでしょうか。

 

 

 

 

 

追記(2019/8/7)

 

こちらのじいちゃん、上記記事のような医療・介護複合体の常識ならとっくに施設に入所してるレベルですが、田舎の自宅でヨロヨロしながら元気に畑しています。片麻痺やら骨折やら諸々あっても少しの医療・介護があれば田舎でも独居出来るんですね。

 

 

 

認知症でも同じです。この重度認知症ばあちゃん、以前とても仲良くしていたのですが、久しぶりに訪れたら僕のこと全く忘れてて、「最近、もう何がなんだか分からなくなっちゃってね〜」と、大笑い。でも一軒家で独居しています。

 

 

つまり、「独居だから…」とか「認知症だから」とか「足腰が悪いから」とか、色んな理由で「自宅生活は無理」とされる高齢者が山のようにいますが、そういうのって単純に家族側、もしくは上記医療・介護複合体側の勝手な思い込みで、そうでない選択肢だってあるかもしれないのです。

 

かってに決めつけて『無理!』と言う前に、

 

『本人の人生にとっての幸せな形』

 

を考える必要があるのでは?と思います。

 

 

 

みんながそう思える社会になれば、世界一を誇る日本の病床も、そんなに埋まらなくなるかもしれないですね。

 

 

 

 

 

 

 

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