医療・介護は下流の処理班。


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医療・介護は下流の処理班。

 

 

児童虐待のニュースが続いている。

 

痛ましい事件に胸を痛めているのは私だけではないだろう。

 

一体、日本の子育ての現場に何が起こっているのだろうか?

 

 

 

デンマークの母子手帳の冒頭には、「あなたの子どもはあなただけの子どもではない」(子どもは国の次なる世代を担う大事な財産なのだから社会全体で育てます、という意味)と書かれているそうだ。

 

合計特殊出生率日本一の徳之島伊仙町で子育てをするママさんは言う、「地域のどこに行っても子どもたちが名前を呼ばれて可愛がられる。安心して地域の人間関係に子供を任せられる徳之島の子育ては、都会での子育てとは雲泥の差」と。

 

 私の前任地・北海道の夕張市では、頻回に徘徊する100歳で重度認知症のおばあちゃんもアパートで一人暮らしをされていた。

近所の人たちの何気ない見守りなどの「地域住民の絆」は、通常病院や施設でしか対処出来ないだろうと思われる高齢者の医療・介護需要を、いとも簡単に吸収してしまっていた。

それはまるで、豊かな土壌が降り注ぐ雨を吸い込むようだった。

 

 

個人主義が広まるにつれて個人と個人、家と家の壁が高まり、その結果形成された「孤立化社会」。

 

これは、ワンオペ育児(による母親の不安からの小児軽症患者増加)・引きこもり・介護離職・老老介護など様々な医療・介護問題の最上流に位置していると思われる。

 

上流に保水力のある豊かな土壌がなければ、水は一気に下流へ押し寄せる。

 

「上流」を意識せずに下流の処理班である「医療・介護」を大量に整備することに果たして意味はあるのだろうか。

 

不登校の子供が14万人

成人の引きこもりが100万人

高齢者の認知症が400万人

病院に来られても正直「医療」で出来ることは殆ど無い。

 

問題はそういう生きづらい人たちを作り出す、そして排除する「社会」だし、その最善の対処法は「医療」ではなく「地域の豊かな人間関係と心からの支援」だ。 

 

いま、ここを意識できるかできないか、これは10年後の日本の社会保障にとって決定的な差となるだろう。

 

いま、みんなで少しずつ地域に「きずな貯金」を蓄えてゆくことこそ、未来の鹿児島を豊かにする最重要事項ではないだろうか。

 

世界一の「人口あたり病床数」を誇る日本、その中でも全国2位人口あたり病床数を誇る鹿児島。

 

いま鹿児島で、私はそう感じている。

 

 (本記事は南日本新聞「南点」令和元年/7/26を一部改変したものです)

 

社会的排除の現実

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