-広告-

誰もが間違える医療の9つの思い込み。

森田 洋之
最近よく訊かれることがある。
「あなたはなぜ夕張に行ったのか?」
そう、そもそも私は生まれも育ちも横浜で、北海道には縁もゆかりもない。
北海道の前は九州の宮崎に居た。
妻も子も(当時長男は2歳、次男は生後4ヶ月)、宮崎の妻の両親も夕張行きには大反対だった。
それでも私は夕張行きを断行した。
いま思うと、その理由は2つあったように思う。
1つは自分への負い目である。
それまでの私は自分の医療知識を深め医療技術を磨くことこそが「善」だ、と思っていた。
そうすることが患者さんのためになることだ、国民の幸福に貢献することなのだと、つゆ程も疑っていなかった。
だからこそ、私は総合病院の中で、何の疑問もなく高度医療を得意げに披露し患者に提供していたのだ。
そんな私は、自分の担当した患者さんたちの退院後の姿を目の当たりにして我が目を疑うこととなった。
彼らは療養病院や高齢者施設で「まるで生気のない姿」で累々と横たわっていた。
私の目には、その光景が「人間の幸福な人生」には映らなかった。
「医療や介護を潤沢に受けているのに、もしそれが患者さんの幸福に向かっていないのだとしたら、医療・介護、ひいては社会保障全体は一体何のためにあるのか?」私は医師として、いや人間として根源的な問いを突きつけられた。
そして自分の行っている医療が「善」だと思えなくなっていった。
とはいえ、まだその時の私は、自分に何が出来るのか全くわからなかった。
どんな医療ならもう一度「善」だと思える医療に戻れるのか、暗闇の中を模索していた。
そんな時、夕張市では市の財政破綻で市内唯一の病院がなくなり、19床の小さな診療所になってしまったことを知った。
興味を持った私は夕張の診療所の初代院長となられた故・村上智彦医師の著書を読んだ。
そして脳みそが沸騰するくらいの衝撃を受けた。
村上先生は総合病院がなくなったその街で、予防医療や終末期医療で市民に寄り添うことを重点においた地域医療を展開していた。
私がそれまで囚われていた「病院」の世界、それがなくなってしまった町はどうなってしまうのか?
そこで展開される「患者中心の地域医療」!?
もしかしたらそこには、私が「善」と思える医療があるかもしれない。
そう思った私は、その実際の医療現場を体験せずにはいられなくなってしまったのである。
その結果、見ず知らずの村上先生に出版社経由で突然メールして頼み込み、夕張へ赴くこととなった。これが私の夕張行きの主な経緯である。
もう一つの理由。
それは私がそもそも「経済学部出身」だ、ということである。
私は医学部入学前に、一度経済学部を卒業していた。
だからこそ、医療的な視点だけでなく、経済学的な視点からも「財政破綻して病院がなくなってしまった街」のその後の姿をきちんと見ておきたかったのだ。
総合病院がなくなって、果たして市民の健康は守られるのだろうか?
市民の安心安全は守られるのだろうか?
私が疑問をもった終末期医療は一体どうなるのか?
…また、あわよくば財政破綻の前と後の様々なデータを集積して、市が財政破綻・病院閉鎖するということの意味を自分なりに分析してみたい。
そんな、ある意味興味本位とも言える動機があったのも事実だ。
「自分への負い目」と「興味本位」、…さらに言えば「医療過疎の地に自ら赴く医師」のようなヒーロー気取りもあったと思う。
夕張市民には怒られるかもしれないが、そんな言ってみればヨコシマな思惑で私は夕張に赴いたわけである。
しかし、いざ夕張の地に赴くと、私のヒーロー気取りは気持ちよく裏切られた。
夕張市には医療で困っている人など一人もいなかったのである。
それどころか夕張には、都会生まれの私には想像もできなかった「地域住民の絆」という究極のセーフティーネットがあった。
私が後に「きずな貯金」と呼ぶようになったその「地域住民の絆」は、通常病院や施設でしか対処出来ないだろうと思われる高齢者の医療・介護需要を、いとも簡単に吸収してしまっていた。
それはまるで、豊かな土壌が降り注ぐ雨を吸い込むようだった。
都市部では悲惨な事例として語られる「孤独死」でさえ、「きずな貯金」のある夕張の地域社会では「うらやましい」と言われていた。
そして、病院がないにも関わらず(もしくは病院がないからこそ?)夕張の高齢者は最期まで生き生きと生活していた。
癌でも認知症でも、あたかもそこに病気など存在しないかのように、人々は地域で自然に暮らし、最期まで自分らしく人生を全うされていた。
自分の人生の終末を病院や医療従事者に委ねることなく、自分ごととして受け止めいていた。
そして何よりも、そんな夕張の高齢者たちは、都市部の高齢者施設や病院の高齢者に比して笑顔だった。
言うまでもないが、そんな夕張の高齢者の生活の背景には、村上先生が構築した「高齢者の生活を支える医療」があった。
夕張に病院はなくなったが、24時間いつでも自宅に来てくれる訪問診療(往診)・訪問看護・訪問介護・訪問歯科医療が構築されたのである。それは、まさに医療の再構築だったのだ。
夕張の、村上先生の医療を知り私は本当に救われた。おかげで私は、もう一度自分の医療を「善」として捉え直し、患者さんのよりよい人生に再び貢献できるように思えた。
とはいえ、夕張から一歩外に出れば、病院や施設での「生き生きとしていない高齢者の生活」は変わらず続いている。
私はこうした夕張の医療、真の地域医療の素晴らしさを夕張以外に、いや全国に伝えたいと思った。
しかし、「夕張の医療はなんだか凄い!」という私の思いは、あまりに漠然としていて誰かに説明できるものではない。
私は、満を持して夕張の医療と社会の変化をデータで確認、分析することを決意した。
ちょうど東京大学大学院の研究ユニット(H-PAC)で研究プログラムの参加者を募集していた。
村上先生は夕張から毎週東大に通うことを許可してくれた。
そして私は一年間、夕張から東京へ毎週一回通うこととなった。
H-PACでは、堂本暁子前千葉県知事たちと一緒に「千葉・夕張グループ」としてデータ集積と分析を行った。
そこで得られた夕張のデータは、まさに驚愕のものだった。
簡単にまとめるとこうだ。
夕張の財政破綻・病院閉鎖前後のデータを比較したところ、
◯市内の病床数は171床から19床に激減したにも関わらず、夕張市民の総死亡率は変わらなかった。
◯病死が減った代わりに老衰が増えた(だから市民が健康になったということではなく、これは診断する医師が医師と患者(家族)の信頼関係を築いて「老衰」と診断できる医師に代わったため)
◯市内の在宅療養患者は激増し、救急車出動回数が半減した。
◯高齢者医療費は減少した。
(データと考察の詳細は拙著「破綻からの奇跡〜いま夕張市民から学ぶこと〜」をご参照ください → https://bit.ly/2pWUzFP)
これはおそらく世界でも類を見ないデータだと思われた。私は心躍らせてそれらをH-PACの研究発表会でプレゼンした。
私は、このプレゼンの内容に誰もが驚愕すると思っていた。
しかし私の予想は大きく裏切られた。
医療経済学の識者たちは、その夕張のデータに対し「そんなの当たり前」と言ったのである。
実は医療経済学の世界ではすでにこのような事例は研究しつくされていて、一定の結論がでていると言うのだ。 その結論とはおおよそこのようなものだ。
「多くの研究の結果、病院・病床の多寡と住民の「死亡率(SMR)」のあいだに因果関係はないことが分かっている。病院が開院しても閉鎖しても、人々の健康状態はよくも悪くもならない。一方で病院・病床が多ければ多いほど医療の供給量や入院患者は増える。」
例えば以下のような研究がある。
◯メディケア(米国の公的医療保険)登録者の20%に及ぶ膨大なサンプルデータと全米の病院資源の分布の関連性を分析した研究。人口当たりの病床数には全米で最大2倍の格差があり、病床の多い地区の住民は入院する可能性が最大30%高かった一方、死亡リスクにはまったく関連していなかった。この傾向は人種や所得グループで一貫していた。
"Associations among hospital capacity, utilization, and mortality of US Medicare beneficiaries, controlling for sociodemographic factors."
E S Fisher, et.al, Health Serv Res. 2000 Feb; 34(6): 1351–1362.
◯同じく米メディケア登録者のサンプルデータと地域ごとの医療供給量の関連性を分析した研究。地域により医療供給には4倍の差がある一方で、その差は死亡率や入院率などの健康指標には殆ど影響していなかった。
"Physician impact on hospital admission and on mortality rates in the Medicare population."
Krakauer H, et.al, Health Serv Res. 1996 Jun;31(2):191-211.
また、この現象は日本でも確認されていて、都道府県別の人口あたり病床は約3倍の格差があり、病床が多い県ほど一人あたりの入院医療費が高い。
それにもかかわらず病床の多い県の県民ほど平均寿命や健康寿命が長いという事実はない、ということだ。
私はこのことに大きな衝撃を受けた。
いや、夕張のデータに「そんなの当たり前」とケチをつけられたことに対してではない。
・ 病院が存在すればするほど医療の供給量や入院患者は増える
・ それなのに人々の健康状態はよくも悪くもならない。
・ しかもそれがすでに日本でも海外でも統計データとして確認されている
この事実に衝撃を受けたのである。
私はそれまで、「地域には一定数の病人がいる。だからその分だけ病院・病床がある」と、何の疑いもなく純粋に思い込んでいた。
おそらく多くの日本人も同じだろう。
しかし、医療経済学のデータ達はそれを真っ向から否定した。
彼らはいわば、「病床がある分だけ病人が作られる」という極論を言っているのである。
私は、経済学部出身の身でありながら「医療経済学」という分野をこのとき初めて知った。
自分のあまりの無知を恥じた。
それと同時に医療経済学の世界を貪るように学び始めた。
日本そして世界の医療・介護・社会保障の制度、それにまつわる膨大なデータ。
しかし、医療のなかでも、先進医療・地域医療・高齢者医療など様々な分野がある…専門性が高くしかもその守備範囲も膨大に広いこれら医療の世界を正確に捉えることは非常に困難だった。
しかも、それらを突き詰めると最終的には「幸福に生きるとはなにか?」という究極の問いにまで思いを馳せなければならなくなる。
それでも、私はこの10年間、何度も壁にぶつかりながらも医療経済学を学び続けてきた。
もちろん今も学び続けている最中である。
そして私は、その「医療経済学」を学ぶ中で多くのデータと日本の現実に何度も驚愕した。
驚くべきことにそれらのデータの多くが、多くの日本人がいだいている「医療」のイメージとはかけ離れた「日本の医療の実態」を提示していたのである。
たとえば以下のような思い込みはないだろうか?
○ わが町に病院がないと不安という思い込み 〜そもそも先進各国の町々に病院はない〜
○ 過当競争になれば悪い病院が潰れ、いい病院が残るという思い込み 〜患者が増えるだけで病院は潰れない『医療市場の失敗』〜
○ 日本人は全国どこでも同じように医療を受けているという思い込み 〜各県で医療需要・供給の差は2〜3倍〜
○ 病院の多くは手術や高度な医療をしているという思い込み 〜日本の病床の約半分は慢性期病床〜
○ 医師の過剰労働も3分診療も「医師不足」だから仕方ないという思い込み 〜そもそも医療の提供量(国民側から見れば需要量)が世界一多いということに注目すべき。日本医療史の中で知らず知らずのうちに醸成された『薄利多売』の世界観〜
○ 病院だって経営組織、収益重視はあたりまえという思い込み
〜世界の病院は殆ど警察・消防と同列の「公」である〜
○ 高齢者が増えると国の医療費が増えるという思い込み 〜本当は高齢になればなるほど医療で解決できることは少なくなる〜
○ 医学=科学だから一般市民には理解出来ないという思い込み 〜医学は科学かもしれないが、医療の多くは社会学である〜
○ 医療はお金と等価交換で手に入るという思い込み 〜医療は、医療側と患者側の双方が協力して成立する『共同プロジェクト型』の取引〜
これらはすべて間違った思い込みである。そう、多くの日本人は「間違った思い込み」によって、歪んだ視点から医療と社会保障の世界を見ているのだ。
経済学部を出て医学部に入り、医師になってからは「善」と思える医療を求めて総合病院の医療から夕張という山間部の医療に移り…そんな私でも「医療経済学」を学ぶまで全く認識出来なかった「思い込み」が数多くあった。
おそらく国民の殆どが、いやたとえ医師といえども大多数がこの「思い込み」にとらわれているだろう。
私はなんとかこの状況を打破したいと願っている。
なぜなら、日本と世界のデータと事実を正しく捉えれば見えてくる「正しい現実」は、我々をあるべき未来へと導いてくれるに違いないのだから。
もしかしたらこれらの「正しい現実」は、『患者が居ないと成立しない医療業界や製薬業界』には不都合な真実かもしれない。
しかし、それはデータに基づく揺るぎない真実であって、そのタブーを乗り越えなければ日本の社会保障全体の明るい未来を指し示す「希望の光」は見えてこないであろう。
私は、皆さんの中の「医療や社会保障にまつわる多く思い込み」が打破されることを願っている。
そして同時に、真実を見る目が養われていくことを願っている。
シェアはこちら↓↓