患者さんの味方になる医療

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2019/10/4

患者さんの味方になる医療

 

 

 

 

これで何度目だろうか。私は今「窓際のトットちゃん(黒柳徹子著)」を読んでいる。

 

トットちゃん、今で言う発達障害なのだろう、周囲に合わせられない好き勝手な言動が問題視され一年生で小学校を退学になってしまう。でも次の学校の校長先生は、初対面にもかかわらずトットちゃんのとりとめもない話を4時間も聞いてくれた。

それまで社会から疎外感のようなものを感じていたトットちゃんは、それだけで安心し心が暖かくなったのだ。

 

この話を読んで私は、 かつて指導していた研修医との会話を思い出した。

 

彼はタバコがやめられない患者さんに対し厳しい指導をしてしまい、険悪なムードになったことを後悔していた。

 

私は言った。

 

「医学的正論というのは現代社会において絶対的正義。とてもよく切れる刀なんだ。だから、丸腰の患者さんは、それを振りかざされたら『素直に切られる』か『逃げる』か、しかない。結局、患者さんが次から来なくなっちゃうだけ…。大事なのは、『患者さんの味方になる』こと。自分の事を信頼してくれて、支えてくれる。そんな人の言葉でないと本当に心には響かないんだよ。僕らが長年かけて磨いてきた「医学的正論」というよく切れる刀は一旦どこかに置いてきて、「白衣」という鎧もどこかに置いてきて、こちらも丸腰の状態で患者さんと向きあう。そんな対等な関係を演出できて初めて、患者さんの味方になれるんじゃないかな?」と。 研修医の彼は、涙を滲ませていた。

 

トットちゃんの話に戻ろう。トットちゃんの新しい学校の校長先生。彼もまた社会からはみ出しかかっていたトットちゃんの味方になりたかったのではないだろうか。

 

教育現場、親子関係、 医師・患者関係、認知症介護…人と人との関係はすべて同じ。知識や技術にもまして「相手を信頼して味方になる」全てはそこから始まるのではないだろうか。いやそこからしか始まらないのでは?と思うのは私だけだろうか。

 

 

 

 

 (本記事は令和元年10月4日掲載の森田洋之著、南日本新聞「南点」のテキスト版です。)

 

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