
「生老病死」は誰の課題?

2019/10/12
「救急車は呼びません…。病院にも行きたくない。ここで最期まで…。」
90代の彼女は、 私が 初めて訪問診療に行ったときそう言って静かに微笑んだ。特にこれと言った病気もなく食が細くなってきた一人暮らし。ご自宅から外出するのが難しくなってきた…老衰の過程としか言いようがない状態だ。
しかし実は、ここまでしっかりと「病院に行きたくない」と言われる方はそんなに多くない。自らの人生の大事な決定を医師の医学的判断やご家族の希望に委ねる、もしくは決めきれないうちに周囲の意向でなんとなく方針が決まってしまう、そんなケースが圧倒的に多い。
考えてみれば、人間の四苦と言われる「生・老・病・死」のうち、病院や医療で解決できるのは「病」だけである。高度に発達した現代の医学をもってしても、自然現象である「老化」や「死」には抗えない。「生」についても大部分の「出産」は医療保険適応外の「自然現象」である。
それなのに我々がたどってきた医療の歴史は「生・老・病・死」の全てを医療の管理下に置き換えてきた過程のようにも思える。「高度医療」を崇拝し「病院」というブラックスボックスに全てをお任せする日本独自の文化は、それまで 主流だった「在宅死」を徐々に減らし、今やもう8割が「病院死」である。一方、先進各国の「病院死」は米国で4割、オランダに至っては3割。これらの国の国民は、「病」のみへの 対処を病院に期待しているのだろう。「生・老・病・死」全てを病院におまかせする日本の病床数が、米・英など先進各国 の約5倍もあるのも納得である。
さて、冒頭の女性の話に戻ろう。彼女の人生 のラストシーンを病院ではなく自宅で、「自然現象」としてどうやって見守るか。今後は私の力量も試されることになるだろう。この病院信仰の篤い日本では、彼女の人生最後の切なる願いさえ、周囲の人々の「善意」でいとも簡単に吹き消されてしまうであろうから。
(本記事は令和元年11月1日掲載の森田洋之著、南日本新聞「南点」のテキスト版です。)
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