うらやましい孤独死【無料公開版(5)】

 

 

2021/02/15 

 

医学的正解の崩壊


夕張の医療現場での体験は本当に毎日が目からウロコだった。 それまで培ってきた医学的正解に基づく病院医療の世界がことごとく打ち砕かれた。 いや、「医学的正解」はそのまま変わらず厳然としてあるのだが、それを現場にどうやって落とし込むのか、そこに「正解がない」ことに、初めて気づかされたのだった。 たとえば、90代でアルコール中毒の男性・萩原さん。肝臓も肺もボロボロで体はもうとっくに限界のはずなのに、自宅で朝から焼酎を飲んでいる。 萩原さんはそれまでなんとか外来に通ってきていて、診察室ではそれなりによそいきの顔を繕っていた。しかし、訪問診療に切り替わって自宅に足を踏み入れた瞬間、私はその焼酎だらけの部屋の事実を目の当たりにすることになった。


もちろんこれは医学的に言えば完全にデタラメだ。それまでの私だったら、「何してるんですか! 今すぐ入院! お酒もやめて治療しましょう」と言っていただろう。 お行儀のいい患者さんなら医師の言葉にはまず逆らわない。そのまま入院して、酒を断つことになる。これが医学的な「正解」である。 しかし、そこに「その人の人生にとっての正解」や「医師・患者間の信頼関係」はあるのだろうか。 お酒のことをそれとなく注意した私に、大好きな焼酎瓶が並ぶ自宅で萩原さんはこう言った。


「酒をやめろって? 冗談じゃない。 超えてんだから検査したら何かあるに決まって る。血なんかとらなくていい。入院もしない。じゃ、何かい? 酒やめて検査して入院したら、ピシャッと治って元気に100メートル走れるようになるのか? できるものならやってみな。俺は酒もやめないし、どこにも行かない。最期までここにいるよ」  

そう、私はこの時点ではまったく彼に信頼されていなかった。 「入院させて、禁酒させて、俺のことをがんじがらめに縛り付けにきた若造」くらいにしか思われていなかっただろう。


じゃ、どうする? 

萩原さんを前にして、私が頭に溜め込んできた「医学的正解」なんてなんの役にも立たないのだ。 そんなものを目の前に差し出しても、知らんぷりされるか、粉々に砕かれてしまう。 萩原さんにとってはそんなものまったく無用の長物なのだから。 そのときの私には、しっかり話を聞いて、萩原さんの思いを理解して、信頼関係を築いていくしか道は残されていないのだ。
このとき、私は怖くなった。 自分が必死になって磨いてきた「医学的正解」という〝よく斬れる刀〞を一切使わず、 まったくの丸腰で、なんの設備もない、何もできない、いや何かをすることを期待すされていない自宅で、患者さんを見守ること、これがとんでもなく怖かったのだ。 なぜなら、これはできる限りやった末の限界ではないのだ。医療の限界でもない。萩原さんの命はもう誰のせいにもできないのだ。 これは言ってみれば、医師としての私と、自分で人生の最期の選択をした萩原さんとの間の言い訳のできない「密約」なのだ。その結果は、私が全身全霊で受け止めなければならない。

 「医学的正解」を示したマニュアルどおりの治療をしていたころの私がどれだけ楽をし ていたのか。このときの私はそのことを萩原さんから思い知らされたのである。 そしてしばらくして、萩原さんはそのまま自宅で亡くなった。彼は最期まで楽しそう に美味しそうに焼酎を飲んでいた。

 何が正解だったのか? 私は正しい選択をしたのか?

それは今でもわからない。 でも、少なくとも私がかつて信じていた、そして寝る間も惜しんで習得した「医学的正解」や「医療の常識」、それらが現場でほとんど意味を持たなかったこと、現場の医療ではそういうこともあるということ、それだけはわかった。 萩原さんが亡くなったとき、私は医師になって初めて死亡診断書に「老衰」という文字を書いた。

 


「人工透析をしない」という選択

もうひとつ、私の医療の常識を揺るがしたエピソードを紹介しよう。
沢田さんは90歳を超えたおばあちゃんだった。足腰の衰えはあったが、頭脳は明晰。 会話でも当意即妙に冗談を飛ばし合うような快活さがあった。 それでも年齢には勝てない。沢田さんは次第に腎臓が弱ってしまい、おしっこが出に くくなった。通常ならおしっこの代わりに水分や老廃物を血液から抜き取る「人工透析」の適応対象である。 しかし、人工透析はつらい治療だ。何時間もかけて血液を濾過する治療を週3回程度行なわなければならない。 また財政破綻都市であった夕張には人工透析ができる施設はなく、隣町や札幌まで通院もしくは入院しての治療が必要となる。夕張から札幌までは車で1時間。往復で2時間、人工透析にかかる時間をくわえれば、まさに1日がかりとなる。それが週に3回もあるのだ。
沢田さんにそのことを説明すると、彼女は即座に拒否した。 「やりません。最期まで自宅にいたいです」 沢田さんはきっぱりと言い切った。その意思は頑なだった。

 

次回、うらやましい孤独死【無料公開版(6)】につづく

 

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